Tuesday, March 29, 2005

イースター

一昨日はイースター、教会でお祝いした。クリスマスは世界的に一般化されているが、このイースター(キリストの復活を祝う日)はあまり一般化されていない。

去年の話だが、近くの日本のケーキ屋さんに行き、イースター用にケーキにこの言葉を書いてくださいと、紙切れに書いたのをお渡しした。

ところがそのケーキ屋さんの従業員に「イースターって何ですか」と訊かれてしまった。

「エッ!?」と絶句。嘘でしょうと言いたかったが、それが現実だ。

欧米ではまずその様な事はあるまいに、やはり東洋人にはイースターはクリスマス並ではないのだ。しかもそのクリスマスでさえ、男女の変な目的のために利用されてしまっているこの頃だ。どうなっているのだ、一体!! と声を嗄らして叫んでみても、何を言ってんの、このオッサンはと無視されるのがオチかも知れない。

でもねぇ、あとで泣きっ面かくよ、今のうちにもっと真剣に考えてみない?

後の祭りにならないうちにさ。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Saturday, March 26, 2005

忙しい牧師

私が忙しい牧師であるという誤解を皆さんしているらしい。確かに忙しくはしている。一人で何役もこなしているのだから。しかし、教会の方々が、私が忙しすぎて相談にも行けないと思っていると言うのは非常に困ったものだ。

家をオフィス代わりにしているので、一日の大半は家にいる。だのに忙しいと思われている。

何故だろうかと考えてみた。一つ思い当たるのは、彼らが電話して来た時に私が「いない」という事が度々あったのではないだろうか。電話には留守電が仕掛けてある。多くの場合メッセージの入っていない、御許不明の電話が掛かってきた形跡だけが残っている。メッセージが入っていると必ず返事は直ぐにしている。

彼らが、私が忙しくて捕まらないと言うのは、彼らの時間に私が合わせられないからだ。

何度か電話をするか、メッセージを入れてくれてさえしたら、その日に私を捕まえる事は出来る。現にうちに寄宿している若者に聞いてみると、私は忙しくしているようには見えない、と言うし、うちの家内と来たら、あなたはいつも居眠りをしているのに、と手厳しい事をのたもう。わたしは決して忙しくしているわけではない!! いつでも電話してきて欲しい。

いきなり訪ねてきて欲しい。忙しく見せているとしたら、私の至らぬ性だ、申し分けない!!

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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自分の葬式

出来れば自分の葬式はやって欲しくないと思っている。

そのまま天国へ召されて、地上に残された人達が、アレヨアレヨと言ってる間に居なくなったってのは、痛快だ。

自分の葬式の模様を考えてみただけで憂鬱になる。葬式にやって来た人達が、色々な事を話している、大体が良い事だ。死人に対してせめてもの敬意を表しているのだろうが、悪い事は心で思っても言わないのが葬式だ。

でももし一言だけ自分のことを言って貰いたいと願ったら、どんなことを言って貰いたいかなとチョット考えてみた。

多分自分でも驚くような良い事を話してくれるに違いない。とすれば或いはその様な生き方を今からしようと心掛けるかも知れない。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Friday, March 25, 2005

グッド・フライデ−

今日は金曜日、欧米ではグッド・フライデ−と呼んでいる。

13日の金曜は不吉な日とされている。これはキリストが十字架に掛かって無残に殺されたのが13日の金曜とされている所以だ。

ところが世界中のキリスト教会ではこの金曜を偲びかつ祝っている。十字架の死を祝うのは変な話だが、キリスト教の中心はこの十字架にあるということからだ。

人はみな罪人、原罪(神に背を向ける)というものを背負っている。誰もこの世に正しい人はいない。正しいと世間で思われている人さえ、完全な正しさはその人にない。必ず醜いもの(例えば自我)を持って生きている。ただ世間の人は外面だけをみてその人の内面を知らないだけだ。

イエス・キリストは全人類、時代を超え、地域性を越え、歴史を超えて、人々の身代わりとなって十字架で死んで下さった、その事によって人々の罪が赦されたのだ。

しかも、3日目に甦って下さった(イースター)。その事により私達も永遠の命を得る事を保証してくださった。ここに救いがあり、力があり、希望があるのだ。

だからイースター(キリストが甦られたのは日曜の朝とされている)の3日前の金曜日がGood Fridayと呼ばれる所以である。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Wednesday, March 23, 2005

新しい風

「ニッポン放送の新株予約権発行の差し止めを認めた23日の東京高裁決定。」と言うニュースを今日ウェブサイトで見た。いよいよ日本のメディア界にもライブドア−と言う新しい風が吹き込んで来るのか、と感慨深げなニュースだった。

何処の世界にも昔のままの状態でいられることはまずあり得ないし、時代の先端を行くメディア界は時代の流れをいち早く察知して変容を遂げて行くのは目に見えて行くことだ。

古い体質から新しいものへと変わって行く事はこの世の習い。

相撲界の横綱も外国人。そのうち女性もあの神聖といわれる土俵の上にあがる日はそう遠くあるまい。

私のいる教会も時代とともに工夫も必要になってくるし、新しい斬新なアイデアで教会を動かしてゆく。何しろ教会の外は激しく移り変わって行くのだから、教会の中も変わって行かざるを得ない。

ただ、そこにある本質と心棒までが変わったのでは、色が褪せてしまう。

本質をしっかりと抑えつつ、その本質を新しい方法で残し、広めて行く。

ここに我々の使命があるような気がする。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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借金

借りたモノは全部返したかなぁ、とフト考えることがある。

金を借りて返さなかった事ってまだあったかな? 返しつつあるのはあるが、思い出して返して行かないと、借金したままこの世を去るのは何か心残りで気になる。

どういう訳か返して貰ってないのは良く思い出す。 人間って勝手なものだ。大体がそんな具合じゃないだろうか。被害にあった方はいつまでも覚えているが、加害者と言うのはすぐ忘れてしまうらしい。

人に傷つけられた者は何年経っても覚えており、やり場がないので病気になってしまったり、グレてしまって非行に走ったりする。これ等は気持ちの借りのようなものだ。

あの人にこれだけの事をしてやったのに、お礼の一つもないといった恩の貸し借りのようなものはないか。そういえば学生時代にいっぱい助けていただいた方に助けの借りがあるのを思い出す。

クリスマス・カードやお正月のご挨拶だって何年もしていない。何か借りっ放しのような気がする。

生きている限り貸し借りはついて廻るらしいが、平均してほぼ同じぐらいにしておいた方が、人間関係が円滑にゆくらしい。

でも借金したら必ず返すようにしよう、少しづつでも・・・、誠意の問題だから。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Monday, March 21, 2005

パニック

人生に一度や二度パニックに陥る事は誰しもあるのではないか。

アメリカに来たての頃、スクーバーダイビングに興味を持ち習い始めた。最初に教えてくれたのが「パニック」についてであった。日本人教官が親切丁寧に教えてくれ、最初はプールの中で模擬実習をしたものだ。

潜っていて一番恐ろしいのが、「パニック」になること。海の中では何が起こるかわからない。表面から幾ら観察しても(特に潮の流れを見る)底の方は分からない。

サメに襲われたり、岩の間に挟まれて脱出出来なくなったり、数十メートルも揺らいでいる昆布に巻き付かれたり、早い潮の流れに押し流されたりで、突発事故は避けられない時がある。その時の「パニック」が事故そのものより恐ろしい。正常な判断力を失うからである。

「パニック」が起こると、胸がドキドキしたり、冷や汗が出たり、呼吸が乱れたり(ボンベの空気がすぐなくなる)、頭に血がのぼって 冷静に考える事が出来なくなる。時には心臓発作が起こっているのではないかと思い、余計にパニックがつのる。凍りついて動きが取れなくなる。

死に直面した様な時には、パニックに襲われる事によってアドレナリンが体内を巡り、痛みさえ感じなくなるらしい。

私の教官は結局海の底で岩に挟まれて亡くなられた。その直後から私は海には未だに潜ってない。もう30年以上になる。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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優先順位

優先順位があるというのに、どうしても自分がしたいことを先にしてしまう。

大切と思っていても、後回しにしてしまう。今しなければならないのに、避けて通りたい。

それで人生最後まで上手く逃げられるわけがない。

そんな事ばかりしていると、最後に大きな「ツケ」が廻ってくる。

私自身それで苦労した事があるし、いまも苦労している事がある。そんな過去を引きずる様な面倒をどうして今しなければならないかと言うと、過去にいつも先延ばしにしていたことがあって、その「ツケ」をいま払っているわけだ。

電話を切られそうになってやっと支払いに行く、それもメールじゃ間に合わないから、局まで行く。利息がつく、時間をそのために費やす、ガソリン代の無駄だ。しかし、何度も同じ事をやる。

クレジットカードは利息が高いので、ミニマムだけを払っていても、一向に元金が減らない。しかももうとっくにカードは使わせてもらえない、ただひたすら払いつづける。

理屈は頭では分かっているが、どうしても期日どおりに出来ない。

一種の病気だな、これは。死ななきゃ直らないか。

一体いままでにどれだけの利息を払っただろうか、一財産出来たかも・・・。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Sunday, March 20, 2005

面倒みろよ

久々に心許せる友と食事をした。彼とはアメリカの大学で1年だけだったが同期で、それでもかれこれ32,3年付き合っている。仕事も関連性があったが、彼は大企業に、私は零細個人企業の道を選んだ。彼が大企業に入社した時、私にも一緒に来ないかと誘われたが断った。

私にはどうも組織、サラリーマンというのが性に会わない、一匹狼タイプらしい。

あれから・・・、彼はいま子会社の社長になっており、部下も何百人。数軒の持ち家あり、しかもいま退職したら何十万ドルもの退職金が出る。私にとっては夢のような話である。

私は一介の小さな開拓教会の牧師、持ち家もない。零細企業で退職金のあろう筈がない。実際の話、羨ましいという感情を一晩抑えきれなかった。彼は退職しても左うちわだ。

でもねぇ、彼は退職したら何をして良いか分からないと言う。私はあと25年はビジョンがあって、やることが一杯ある。

彼のような胃が痛くなるようなストレスがない(多少はある)、上からのプレッシャーもない、毎日生甲斐を持って生かされている。

はっきりと私は何処から来て何処へ行くのかも分かっている。人生の目的も分かっている、とすれば、金も物もない私は幸せ者だ。そして彼も私の事をそういう風に見ている。

「おい、オレに何かあったら面倒みろよ」彼の別れ際の一言であった。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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歳を取る事

歳を取る事は素晴らしい事だ。

何でもスピードアップ出来る。何をするにも話が早い!! ツーといえばカーで返ってくる。

今まで積み上げてきた経験とコネクションとで「つぼ」のような物が分かって来る。それに加えて一番大切なことは「信頼」関係が樹立できてきたことだろうか。

人と人との信頼が、いかに大切であるか、この年になって実感している。

目先の損得に気を奪われるような生活をしていると、年をとって後ろを振り返ってみた時、自分の足跡がどれほど重かったかを見て、ガックリする。

一日一日の積み重ねがどんなに大きな結果として現れてくるか、後で分かる。一日の成功は一生の成功、少しづつだが信頼関係が積み上げられてくる。

毎日を誠実に生きる、毎日を正直に生きる、絶対に人を裏切る事のないように、責任を伴った生き方をする、難しいがこれが人生の基本のように思える。

年をとり、何をするにもすべて事がスムースに早く片付けられる秘訣のようだ。

だから年を取る事は素晴らしいことだ、と思う。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Thursday, March 17, 2005

本当の充足感

考えてみれば私には幾つかの顔がある。夫であり、父親、プロテスタント・キリスト教会の牧師、一応ゴスペル・シンガーでもある、その上家内の体が弱い為買い物には運転手として、時には一人でマーケットに買出しに行く、大根、セロリー、コンニャクから豆腐、肉や魚といっぱしの主婦並だ。掃除や洗濯もごくたまにする。毎年日本に2回、3週間づつ教会を巡りながら布教(伝道)活動を続けている。こんなに動き出したのは61才からだ。

何故こんなに動けるのか自分でも不思議に思ってよくよく考えてみた。

別に特別な能力がある訳ではないし、経験があるわけではなし、訓練されたわけでもない。でも、これには理由がある。

一つは健康な体が与えられていること、もう一つは将来に対してビジョンを持ったこと。そしてそのビジョンを通して少しでも人のお役に立ちたいと思ったことだと思う。

自分がやりたいと言う自己満足だけでは、長続きしないし本当の充足感はないように思える。

人のお役に立てる事ほど充実感の与えられるものはない。ほんの小さな事でも、何か人の役に立つ事を実行してみるのはどうだろう。自分の事も出来ないのにと思われるかも知れないが、案外出来るものだ。この事をあるところで喋ったら、あなたは傲慢だと言われた。

参ったなぁー。そう言われたら身も蓋もない。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Wednesday, March 16, 2005

天国(パラダイス)

「あの人は天国に行ったのね」「天国で会いましょう」と言う風によく亡くなった方は全て天国に行くと言う風に表現する。これは多分に「希望的観測的」物の言い方で、何の根拠もない、無責任といったら言い過ぎかも知れませんが、そうあって欲しいと言う「願望」の現れなのだ。死んだらそれでお終いであって欲しくないと言う思いは確かに、人間誰しも本来は持つものなのである。

バイブルはその事を確かな物として描写、約束している書物である。

人は死んだ瞬間オ−トマティック・ドア−を通り抜けて天国(パラダイス)に行くのである。そう、瞬間です。なぜならバイブルには神の御許に必ず入るという保証(ギャランティー)が与えられているからである。そして例え、肉体は土に帰っても、イエス・キリスト様がやがて来られる時、その体がよみがえって栄光の体に変えられると言う保証がなされているのである。

この世で息を引き取っても、一瞬のうちにパラダイスに行けるのだから、死の恐怖はないのだ。死はもはや我々の敵ではなくなったのである。 なぜ?

それはイエス・キリストが十字架の上で死なれ、墓に葬られ、3日目に甦ったとされる復活の奇跡があるからである。

3月27日はイースター(復活祭)を祝う。これは我々には大きな希望なのだ。キリスト教教会では厳粛にこのことを祝っている。

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Tuesday, March 15, 2005

ドタキャン(その後)

数日前の「ドタキャン」と言うのは実はこういう事だった。

私の知り合いの若いお母さんが子供4人(13、11、10、1才全部男の子)を連れて将来自分が計画しているビジネスの勉強の為日本に行くのですが、親戚なし、友人の家にこんなに大勢では泊まれず、さりとてホテルに泊まる金はなし、そんな事で私に何処か知らないかと尋ねられた。

「任しときなさい!!」と大見得を切ってある人に頼んでみた所、快く引き受けてくれる事になった。特別安い飛行機料金でティケットも手に入れ、子供達も9年ぶりの日本で心もウキウキ。皆その気になって気分は最高潮。そんな時の「ドタキャン」だったとうわけだ。

結論から言うと、私の打った手を煩わすことなく、彼女の筋から2週間ただで泊めてくれる所があったようだ。私も良く知っている牧師の教会の2階に泊めて貰え、牧師館も隣りなので最高の条件。前の条件より良くなったわけだ。

もしかしたら、神様は初めからここを用意して下さっていたのかなと思った。

それにしても冷や冷やものだった。私の責任に関わることだったから、最悪の場合、ホテルでも用意しようかとも考えていたが、私も大助かりした。

それにしても「ドタキャン」は人騒がせでだ。私もチョット甘かったところもないではなかった。反省している。

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愛用の聖書

この3週間の間に2人の方が天国に迎え入れられました。2人の間での聖書にまつわる話。

お一人の方は2002年の12月に病床洗礼を受けられた。でも聖書は随分昔から読んでおられたらしく、古い愛用の聖書を持っておられた。その聖書を娘さんに残していかれた。娘さんに是非読んで欲しいと母の切なる思い。

もう一人の方は随分以前に息子さんと一緒に洗礼を受けられた。そして息子さんは彼女の愛用の聖書を棺の中に一緒に入れられた。最後までお母さんに持って行って欲しいとの子の思い。逝く者、残される者、お互いの心がそこに現わされている。なんとも言えない母と子の愛情の妙味のようなものを見せていただいた。

人は何を残して行くかがとても大切なように思える。

有形無形のものがあるだろうが、やはり心の中にいつまでも残るものが素晴らしいように思える。母と子の、二人にしか分からないほのぼのとした気持の交錯が人生の最後にこんな形で出てくる。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Monday, March 14, 2005

死とは

昨日、息子さんから電話があり、お母さんの容態がおかしい、どうしたら良いのか分からないとの報に接し、とにかく救急車をすぐに呼びなさい、とメッセージを残し急いでその家に行った。すでに救急車が去って、警官が二人残っていた。

家族の方が家で亡くなられると、まず救急車を呼ぶ。救急車はどういう訳か必ず消防車が一緒に来る。彼らが死を確認する。警官も一緒に来るので、すぐに警官が検死官に連絡してサインを貰わないと次に進めない。サインを貰うか、或いは電話でOKが出ると、すぐに葬儀屋に連絡する。OKが出ない限り葬儀屋には連絡できない。

その死が病死か自然死かを確認しなければ、もしかしたら犯罪に関わっておれば大変な事になるから、必ず上記の手続きを取らねばならない。OKが出たら葬儀屋に連絡するとすぐに来てくれ、州に提出する書類を作成してくれ、遺体を運んで行ってくれる。あっという間だ。

死とは荘厳な瞬間だが、手続きは実に手早く手短に済んでしまう。なんだか呆気ない。あとはポカーッと気の抜けたときが暫く続くのだろう。そのうち、そんな事も忘れて、普通の生活に戻ってゆく。人生はなんだかその繰り返しのようでもある。


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Saturday, March 12, 2005

ドタキャン(その1)

『ドタキャン』と言うのは「土壇場になってキャンセルを喰らう事」と言う風に理解しているのですが。「喰らうこと」と言った方が実感がこもっていて良く解る。人間、被害意識の方が強いから。

今その「ドタキャン」を喰らわされた状態にある。どうして良いのか頭の中が白くなっていて、心穏やかではない。今日一日中他のスケジュールが一杯入っていて、とてもじゃないがこの事に関わっておれる状態ではない。だってこれは何週間も前に確認の取れていた事だから、すっかり安心し切っていた。「ドタキャン」というのは時間に今圧迫されている状態なのに、良くこの記事書いておれるなと自分でも思う。

打つ手は一応打ってみたが、この結果がどうなるのか、多分あと数時間経てばハッキリするだろう。

それにしてもやり繰りすると言うのは、精力の要ることだ。何人もの人が嫌でも介入される。何人の人に電話をしたか、それも国際電話だ。何人の人に迷惑が掛かるか考えたら、責任問題で冷や汗が出てくる。どんな時にも平常心を保つと言うのは、難しい事だとつくづく思う。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Friday, March 11, 2005

眠り

うちの2匹の犬(Spudオス16歳と JJメス3歳)はいつも寝ている。特にSpudはもう年寄りなのでいつ見ても寝ている状態だ。動物はいったい何時間寝るのだろう。

因みに動物の中で一番寝るのはナマケモノだそうで、彼らの睡眠時間は一日20時間だと聞いた事がある。

人間の8時間(人によって差はあるが)に比べると2倍半も眠る。だのにあんなに動きがのろいのは、やはり寝過ぎではないのだろうか。

「朝起きて、夜寝るまでに昼寝して、時々起きて居眠りをする」という川柳を聞いたことがあるが、体力の無い人には、寝なければ体の持たない人もいる。

私の家内は20年以上リューマチを病んでいるので体力が続かない、毎日2時間から3時間の昼寝が必要だ。

しかし私達の神様は「まどろむこともなく、眠る事も無い」(詩篇121:4)。私達が危険な目にあったり、倒れないよう、いつも守っていてくださる、と聖書に書いてある。有り難いことだ。ダラダラと眠りをむさぼって生活のリズムを狂わさないようにしたい。

ちなみに眠りの一番短い動物はキリンの一日たったの30分だそうだ。

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牧師稼業

「牧師という仕事柄、訪問もするが我が家には殆ど毎日人が訪ねて来られる。我が家はオフィスも兼ねているので、基本的には朝から晩まで家に居る。

暫くお話されてお帰りになる時、よく言われるのが、「折角のお休みのところ、失礼しました」と一言。

休んでいるのではない(決して!!)、家で仕事しているのです!! でも人様から見ればいつも家でゴロゴロして休んでいるように見えるのかな〜と、少々不安になってきた。

牧師稼業というのは、暇なものと思われているのではないか。

確かに、誰からも時間的にも拘束されるものは余りない、学びの用意や礼拝説教の準備さえしていれば(人には準備さえしていないのではないかと思われ勝ちなのだが)確かに暇はあるかも知れない。

何もしないでおこうと思えば最低限の事をしていれば、あとは幾らでも暇が出来る。

でもやりだすと幾ら時間があっても足りないのが牧師なのです。24時間勤務ですが、25時間欲しい時もある。そんな忙しい中でも「お休みの所・・・」と言われると、人には余裕があるように見えるのかなと、安心する心の余裕が出て来るのも確かです。

それが又嬉しい事でもあります。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Thursday, March 10, 2005

牧師という仕事

牧師という仕事柄か、よく相談にこられる。私には何の力も無いが、話はよく聞いて差し上げる事にしている。先日も一人の婦人(Aさん)がこられた。とても深刻な表情で、一体何があったのかと、チョット不安になった。

お話なさったのは、全くAさんとは関係の無い、彼女のお友達の、その又知り合いの方の事でした。ですからAさんも当人を知らないのです。そこで最後まで話を聞き、祈って欲しいと言う事で、共に祈りました。

多分Aさんも友人に祈って欲しいと頼まれたのに違いないのです。

彼女が帰ったあと、ふと思ったのですが、もしかしたら私は試されたのではないだろうか。

私が全く見も知らない人のために、どれほど真摯な態度で真剣に相談を受け祈るか、私を見ておられたような気がした。私の態度いかんで、Aさん自身の深い悩みを打ち明けるかどうかを決めるテストのような物ではなかったか。

気の回しすぎかもしれないが、その時教えられた事は、どんな相談にも、全く知らない人だからといって好い加減な態度は取れないということだ。心しておかねばならない教訓であった。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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歯をガ−ガ−

6ヶ月ぶりで歯のクリーニングをして来た。アメリカでは患者の事を”patient”と呼ぶ。

歯をガ−ガ−やられながら、なぜ”patient”と呼ぶのか分かった。これには「我慢」とか「忍耐」とか言う意味がある。あの音を聞いただけで、泣き出す子供もいる位、気味の悪い音である。あれを治療中ずっと辛抱せねばならない。それに休みなしに歯から歯へと治療の手が続くものだから、顎が痛くなってくる。

口をあけたまま5分から10分我慢しなければならない。中には歯が沁みて飛び上がるほど痛いのがある。涙が出てくる。声も出せないで我慢する。それに近頃呼吸困難に悩まされる。口をあけたまま、ガーガ−やられっぱなし、唾液や水を吸い取る助手がいて、口の中にプラスチック製の異物を入れられる、口臭を悟られまいとして、息を殺す。

こんな事やられてたら息も出来ない。そのうち口から息をして良いのか鼻からしてよいのやら、訳が分からなくなってきて息が苦しくて堪らない。

忍耐が必要なのだ。だから”patient”と呼ぶのだ。

日本語の”患者”よりまぁいいか。患ってないのに”患者さん”とは呼ばれたくない!!

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Monday, March 07, 2005

人間死んだらオシマイ?!

昨日生まれて初めて葬儀(厳密に言えば記念会)を執り行った。
 
人の死に立ち会った事が3度ほどあるが、お葬式を執行するのは今回が最初。私には子供が3人いるが全員が、父親のコーチによる自然分娩だ。

分娩室に入り、妻の枕もとでコーチをしながら、生まれてくる瞬間に立ち会う。そんな経験をした事がおありでしょうか。

それは、それは、神々しいというか、神秘でもあり、神聖な瞬間です。死に立ち会うときも同じ様な気持になるから不思議だ。

人間生まれる時も、死ぬ時も、自分ではコントロールできない、何かしら超自然の力が働くのを見る。

人間死んだらオシマイではない世界を経験する時でもある。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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家族が一番

3月7日に8歳になる男の子。去年お母さんと5歳になる妹と一緒にお父さんのもとから逃げ出すようにして家出してきた。あちらの家、こちらの家に寄宿させてもらいながら、数ヶ月前やっとアパートを借りて新しい生活を始めた。

8歳の誕生日にユニバーサルスタジオに連れてゆく事になった。ところがこの日は月曜日。担任の先生に一応話してみると、『家族の方が大切だから、学校は休んでいいよ』と言われた。驚いたね。

今の世の中、これくらい家族を一番大切にする心が、親や学校の先生にあると、家庭も、学校も、社会も変わるように思うのだけど。子供は学校が休めること以上に親の気持が嬉しいらしく、昨日今日と顔が明るい。」

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Thursday, March 03, 2005

情熱と工夫

牧師の独り言: 「情熱と工夫」

レストランで働いておられるご婦人から聞いた話。 国籍や人種によってチップの額が随分と違うらしい。先ずチップの仕組みだが、食事時にサーブしたウェイトレス全員でチップ全部を等分するやり方と、受け持ったテーブルに置かれたチップは全額その担当者がいただく、という仕組みがあるとの事。アメリカのレストランでは後者が多いので、俄然張り切って思いッ切り笑顔を振りまき、愛想良くサーブし、気持ちよくお客様に楽しんでいただくように努める。

その結果がチップの額に現れてくる。 生活が掛かっているから必死に働く。因みに一番多く置いてくれるのは白人だそうで、日本人はというと、どうも・・・いまいちらしい。中にはチップ制度を知らないで置かない人もいるとか。 ヒスパニック、黒人、韓国、中国、日本と人種により反応も様々。

教会も我が事のように考えさせられる話だ。 教会は素晴らしい、最高のものを提供出来るところの筈。 それをどのように提供させていただくかが問題。余り工夫しないで惰性でやってゆくのか、伝統を重んじたやり方が良いのか、知恵を用いて現代風にアレンジした方が良いのか様々だが、要はお客様に美味しく楽しく気持ちよく召し上がっていただくのと同じように、教会の外の人には細心の注意を払いながら、何を求めておられるのか、どのように提供できるのか、工夫と努力をする必要はあるという事だ。 

いくらこちらに情熱があっても、事が巧く伝わらないと悶々とするばかり。 牧師も苦労しながら、日夜祈り、頭を抱えている、時には胃を痛くしながら・・・。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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5つの「J」 

ビジネスと聖書(2) 5つの「J」  

ビジネスを進めて行く上で、5つの大切な「J」について考えてみたい。これは英語の「J」ではなくてローマ字の「J」である。Jiseki(自責)、Junjo(順序)、Jikan(時間)、Jijitsu(事実)、Jujitsu(充実)、以上の5つの「J」である。単なる言葉遊びのようであるが、ある面ではJyuyou(重要)な事と思う。

どんな仕事にも第一に大切な事は、自分に責任を持つと言う事、すなわち「自責」である。自責を持つとは、自分のやる仕事に責任を覚えて立ち向かうと言うべきものである。自分に自信がないので、上手く行かなくなると他人のせいにしたり、環境や時流のせいにし、責任を自分に負わせないで責任転嫁する人が多いのではないか。「自分がやらなくて誰がする。今やらなくてはいつやれる!」ぐらいの気概がなくて良い仕事が出来ない。

第二「順序」である。日々新しい仕事がどんどん入ってくる。まだ終えてないのに、更に新しい仕事が来る。その時に大切な事は、優先順位をどうつけるかが大事な事である。「最重要はこれ」「これは最後で良い」と先ず自分の中で「順序」をつけなくてはならない。これが手際よくビジネスを進める上で大切な事である。

第三に「時間」である。順序を決めたら一つ一つの仕事に必要な時間を割り振ってゆく。その次に時間は絶対厳守する。決めた時間を妥協して時間をいい加減に変えたりしていると、あっという間に仕事が山のように残ってしまう。時間は「ある、ない」と言うものではなく、自分で創り出してゆくものである。「時間がない」と叫んでいる人の多くは、無駄な動きが多いのと、時間を厳守しないのではないか。私の知るビジネスマンで超多忙にもかかわらず、日本の自分の仕事をしっかりとこなした上、海外出張を立派に果たしている人がいる。

第四に「事実」が次に来る。理想論や机上の空論ではビジネスは三日も持たない。実践、実績、実行が問われるのであって、「議して決せず、決して行わず!」の生温い状態では話にもならない。結果は?結実は!数値は?とイエス様も同じ様に問われた(マタイ21:19)

最後に「充実」。いくら多く働いて結果を出しても雑なものではどうしようもない。
一つの指示で三にも五にも仕上がりを出す。このようなビジネスが出来る人は、自分の責任(自責)が強くなり、さらに(順序)良く、さらに(時間)を創り出し、良き(事実)を得る。
仕事のみならず、人生すべてに(充実)がもたらされるのではないか。

この5つの「J」こそ、仕事人ビジネスマンの重要なポイントである。

中野雄一郎記
JTJ宣教神学校国際学長、マウントオリーブ・ミニストリーズ巡回伝道者


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