Saturday, December 31, 2005

「Be the Best for Christ」

「Be the Best for Christ」

のっけから英語のタイトルで申し訳ありませんが、これは阪神タイガースの‘06年の新しいスローガン、「Be the Best for the Fans」をもじった物です。

なぜだか知りませんが、読売ジャイアンツでも英語のスローガンで「Show the Spirit(over the top)」と
英語になっている。日本は英語ばやりで英語圏にいるボクたちは少々戸惑ってしまいます。

それはともかくとして、今年の私たちの教会の聖句(スローガン)は「愛に結び合わされ互いに励ましあう」です。純粋に日本語で行きます。今までもそうでした。

今までは5年間「喜び」がテーマでした。

溌剌とした喜びに満ちた教会を目指してきました。内から喜びがあふれ出て、喜びの声がはるか遠くまで聞こえるような教会を目指してきました。


「世界の中心で愛を叫ぶ」というのをテレビでやっていましたが、私たちは愛を叫ぶだけでなく、愛を与える行動派でありたいと願っています。

私達には愛がないのを十分知っているだけに、人々に励ましや慰めを言葉だけでなく行動をともなってお与えする事が出来ればとの願望が含まれています。

「Be the Best for Christ」というのはそういう意味では一番基本的、根本的な信仰姿勢であると確信
しています。勿論これには謙遜さが伴わなければなりませんが。

『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』(マタイ25:21)

イエス様にそう言われたい。

新しい年お互い主の業に励んでゆきましょう。

Friday, December 30, 2005

気張ってブログ続けます。

コンピューターを新しいのに変えました。

前のは爆発寸前状態で、どうにもこうにも大変でした。

そう言う訳でしばらくコンピューターが使えず、皆様にはご迷惑をおかけしました。

せっかくブログに立ち寄ってくださったのに、更新されていなくて申し訳ありません。

それにクリスマスが重なっていて、どうにも忙しくしていました。

この3,4日、いろいろと考えることがあって、ボーっとしているとき、下記の詩が頭に浮かんでは消え
浮かんでは消えしていました。

もうご存知と思いますが、初めての方もおられると思いますのでシェアーします。

また気張ってブログ続けます。よろしくお願いします。

【ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に残された患者の詩からの引用です。】

大きな事を成し遂げる為に力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった
より偉大な事が出来るように健康を求めたのに
より良き事が出来るようにと病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった
人生を享楽しようとあらゆる物を求めたのに
あらゆる事を喜べるようにと生命を授かった
求めた物は一つとして与えられなかったが願いは全て聞き届けられた
神の意にそわぬものであるにもかかわらず心の中の言い表せない物は全て叶えられた
私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ
<この患者は、J・ロジャー・ルーシーという神父さんでした。>

Thursday, December 15, 2005

心して聞くべし

今回の旅で数知れないくらいの駅に立ち寄ったが、 公衆便所に立ち寄る事が多々ある。 

近頃は大体何処の駅にもトイレはあって、移動する者にとっては非常に便利である。

ところが入った途端、すぐに出てきたくなるようなトイレと、ゆっくりとしたい気分になるものとがある。管理の仕方が問題なのだろう。 一応毎日掃除はしているのだろうけど、あの鼻腔につーんとくる独特なアンモニアの臭い。 

堪らなく懐かしく、堪らなく居たたまれない。
 
しかしあの場所は重要且つ必要な所なのだけど、あればよいと言うものではない。

総じて、私鉄の駅のトイレは気持が良いのはどういう訳だろうか。

やはり民営化が徹底してゆけば改善されるだろうか。

日本全国何処に行っても、小泉さんのお陰で快適なトイレに巡り合う日もそう遠くない事を願っている。 外国からの人達も大勢いるだろうし、我家だって、客間とトイレはお客さんが必ず使うので、何時も綺麗にしておくように心掛けてはいる。

ある有名な牧師がいみじくも言った言葉に、「教会のトイレはその教会の霊性を表しますよ。」

心して聞くべしだ。

Tuesday, December 13, 2005

一期一会

いまどき珍しいタクシーの運転手だった。
とにかく最初から最後まで喋りっ放し。
京都でのことなので、観光案内から始まった。 

鴨川を沿って走ったので、川や沿岸にある建物や料亭の歴史、京都大学にまつわる裏話、東海道五十三次、日本女子マラソンの発祥、そしてご自分の職業歴を詳しく、最後にはご自分の生い立ちから家族、兄弟、親戚間での出来事などなど。

20分の間に彼の一生涯をざっと一通り聞くことが出来た。

20分で60数年分だから、走馬灯どころか、ロケットより早い。

人の一生には重みがあるものだ。 

一度しか会わない人の歴史であっても聞き流せばそれまでのこと、じっくり腰を据えて聞くと感慨深いものがあって、感動すらしてくるから不思議だ。

30数年付き合っている家内のどれくらい知っているだろうか、フト、考えさせられた。

Saturday, December 10, 2005

標語

日本は標語の好きな国だ。 これは私達にも大変役に立つ場合がある。

今回見つけたのは、「踏み切りで、焦らず、急がず、まず止まる」。

踏み切りでバーが降りているにもかかわらず、渡る人がいるのを見ると危険だ。

「信仰は、焦らず、急がず、まず祈る」と置き換える事ができる。まだ使ってないが・・・。

あまりオリジナリティはないが、牧師はいつもこんな事ばかり考えている訳ではない。

しかし、役に立ちそうな事をメモする癖はある。

メモはすぐ取らないと忘れてしまうからだ。

ほんの数分さえ覚えていられない。

嫌なことは何時までも覚えているというのも問題だが。

Friday, December 09, 2005

伝道する者の宿命

今回日本での伝道旅行は移動が多かった。 

東北新幹線、上越新幹線、信越本線、北陸本線、東海道新幹線、東海道線、高山本線、中央本線、その他私鉄とよく汽車や電車に乗った。

当然朝食も昼食も駅や汽車の中で食べる。 その時楽しみの一つが駅弁である。

近頃多彩な駅弁が売られている。 

業者の作ったものばかりではなく、全国から応募した専門学校生コンテストの最優秀賞を受賞したものが売られている。 

その土地土地の名物を弁当にしたものは楽しみの一つであるが、何処に行っても、コンビニで売っているような弁当もあるので興醒めすることもある。

それでも駅弁は良く売れている。 暫く店頭の前で立っていると、時間帯にもよるだろうが、飛ぶように売れている。

でも駅弁ばかり食べていると、何だか侘しい気持になってくる時もある。

この30日間家庭料理を食べたのがほんの2,3回だ。

これも伝道する者の宿命でもある。

その時々を楽しむ工夫をしなくっちゃ〜。

Wednesday, December 07, 2005

とんびに油揚げ

朝市の店を冷やかしながら歩いている時、突然 バサッ!! という音がすぐ近くで聞こえた。 と同時に キャッ!! とオバちゃんの可愛い声(たぶん、ギャー だったかも)。

またまた、すわっ、何事と思ったら、くだんのオバちゃん半べそかきながら上を指差す。

食べようと思って手に一杯サンプルの品を持っているのを、な、な、なんと鳶(とび、又はトンビ)がさらって行ったのだ。*「とんびに油揚げさらわれる」とはまさにこのこと。

いきなりの事でビックリしただろうな。

初めての経験に違いない、こんなことって。

ところがタクシーの運転手や地元の人は平気な顔していた。

上を見上げたら、屋根に何羽かのトンビが止まって、鋭い目つきで獲物を狙っていた。(都会だと普通はカラスなのに。)

* 当然自分の物になると思っていたものを、思いがけず横合いから奪われて、呆然とするさま(広辞苑)

時すでに遅し

北陸に行く機会があって、そこの教会にご奉仕させていただいた。

新幹線で越後湯沢まで、8分の待ち合わせで金沢に。

金沢に近づくにしたがって、だんだんと北陸特有のどんよりとして空模様。

金沢についてビックリした。 レールパスがない!! 

いつも左上の胸ポケットに入れてあるのにない。 

とりあえず紛失係に申し出て、改札は出して貰ったが、こちらでのローカル線や帰りのキップはどうなるのか。

結局、全額普通料金を(乗車券、特急券)支払わなければならなかった。

これからは念のため、オリジナルのクーポン券(パスに替える前の切符)も持って行っておいた方が良い事に気が付く。

駅によっては何とかしてもらえる事を、ロサンゼルスに帰ってから教えてもらった。

時すでに遅しである。

Tuesday, December 06, 2005

群集心理

能登の朝市での話。

河豚(フグ)や鯖、鰯、鱈などの糠漬けが売られている。

これは珍しい糠漬けだ、保存食らしい。海藻類、干し魚、色々と新鮮な海の幸、新鮮な野菜類などが所狭しと並べてある。

大勢の観光客がぞろぞろと店を物色。適当にサンプルをつまんで、食べ歩きをしている人、人、人。

突然大きな声がして、フト見ると、店の親父さんが何か客に対して怒っている声だ。

店の人が客に大声で怒っているなんて珍しい光景ではないか。 

すわッ、なにごと!? 野次馬根性よろしく店の前まですっ飛んで行く。

なんと!! サンプル皿が空になったので、陳列してある売り物の皿から客が手を伸ばして、取って食っているではないか。

信じられない光景だ。サンプルではなく商品を食べているのだ!?

群集心理というのか、次から次へと、手がその商品に伸ばされてゆく。

そりゃ怒るわな、オバちゃん。 そりゃないで〜〜、いくらなんでも。

旅の恥はかき捨て、といえその言葉やアクセントで何処から来たか、すぐ判ったで〜。

「あんたら恥ずかしいと思わんのか!! これは完全に盗人のする事と同じやで!!」

店の叔父さん顔を真っ赤にして怒ってた。

商売どころではない。 この人早々に店仕舞いして帰りそうな剣幕だった。

Saturday, December 03, 2005

マイカー

今回少し時間が出来たので、帰国寸前だったが、能登の朝市に行く機会があった。

始めて行った能登、もう電車は廃線になり、公共の乗り物はバスだけらしい。 

近頃ほとんどの人は観光バスか自家用車だ。オット、自家用車なんて言葉は死語だった。

マイカーというのだが、どうもこの言葉は私の口からは何年経っても絶対言えない言葉だ。
 
トウチャンの車も“My car”なんて可笑しいじゃないですか。お兄ちゃんの車もマイカー、
友人の車もマイカーだ。

Myと言うのは所有格であるゆえ、所有者だけがマイカーと呼べるのだ。 

こんな事大きな声で言うと、ロートル親父のたわごとに聞こえるので余り言いたくないがあまりにもひどい日本語なのでつい出てしまった。

そう言えば10年位前友人の家に法政大学の英文科の女子大生がホームステイにやってきて、親父さんの車をマイカーと言った時、思わず友人と顔を見合わせてしまったことがある。

もう完全にこれは日本語なのだ。 Myなんてことにこだわる事はないのだ。

でもどうしても割り切れないこだわりと言うか頑固さを持っているのが、ロートル親父たる所以なのだ。 

赦してくれたまえ。

おっと、能登の話しをするのを忘れてしまった。次回にまわそう。

韓国に青森の“ねぶた”

小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題で日韓、日中外交関係がギクシャクしている時、韓国に青森の“ねぶた”が海を渡ったニュースをやっていた。

あの重くてドデカイ“ねぶた”、運ぶのに随分とご苦労な事だったと思うが、当地で組み立てるのにも一苦労があったようだ。

日本から組み立てや指導、笛や太鼓のお囃子に大勢が行かれたが、韓国側もお囃子に加わったり、組み立てを手伝ったり、あの大きな重い“ねぶた”を市中引き回すのに、大勢の韓国の人たちも加わり、大変喜ばれ、大成功にうちに韓国版ねぶた祭を終了されたようだ。


外交には色々一般人の知らない駆け引きと思惑があるようだが、このように民間レベルで良き友好関係を築き上げて行くのが、何より国と国との関係を良好に平和を保って行けるのではないかと、感動をもってテレビのニュースに見入っていた。