Sunday, July 31, 2005

感動

「足の下370キロには、地球の本当に息をのむような景色が広がっていた。驚きの連続だったよ」宇宙飛行士野口さんの言葉。

何と言う感動的な言葉だろう。

この記事を読んでボクは心から感動した。

そうなんだよ、神様は本当は地球をこんなに美しく造られたのだ。

「息を呑むような」「驚きの連続」、こんな感動感が味わえるなんて凄い事だ。

野口さん、地球に戻って来たくなかったのでは・・・。

ボクの周りの、ほんの些細な事にも感動するものがあるに違いないのだ。

ちょっとした事に感動できる、そんな心をいつも持っていたい。

Saturday, July 30, 2005

即決、即行

明日に延ばすのではなく、今この時という即決の大切さを知った。

昨日のお葬式での事、親しい人に出会った。その人が語るには、「病気のお友達をお見舞いに今日行かない?」と誘われたが、用事があったので来週に延ばしてもらった。

ところがその病気の方はそれから2日後にお亡くなりになって、自分がどれほど今後悔しているかを語られた。「何でも先延ばしは駄目ね。出来るだけ直ぐにした方が良い」

確かにそうだ。

昨日お葬式をした方も、イエス・キリストを病床で信じ受け入れた途端、まだ修養会場におられたN牧師に連絡して帰りにその方の家に寄ってもらって貰って洗礼式をした。

N牧師に朝話して、その午後にはもう洗礼式。その3日後にお亡くなりになった。

牧師たるもの見習わなければならない事だ。「今すぐに」、即決、即行。

今後の戒めとしよう。

白米

一ヶ月ぶりに白米を食べた。

お葬式の帰り、夜も大分遅くなり、帰宅して食事の用意も出来ないので家内とSoon Tofu(韓国豆腐料理の一種、通称スンドブ)を食べた。

とにかく料理の付き出しとして出てきた小魚の揚げ物、キムチの冷やしスープ、お好み焼きを小さくした揚げ物、その他全部平らげ、スンドブにご飯も大分いただいた。

さすがにひと月の徹底した食餌療法によって胃が随分と小さくなっていたので、ご飯は大分残したが、久し振りに堪能した。

多分塩も大分入っていたと思うが、月に一度くらいならいいだろう。随分頑張ってやせたからと自分をほめながら、実に美味しくいただいた。

食べたい物をあまり我慢するとストレスになる。声も枯れて出なくなる。体に良くないし、精神衛生上良くない事も解った。

これからは一週間に一度好きなものを食べる事にしよう。

気のせいか何だか今晩声が出るようだ。

アー、アー、アー、と発声にならないターザンのような声を出してみた。

声が出る、出る。

Friday, July 29, 2005

高血圧の効用

この一月の間毎日血圧を計っている。

時間帯や状況、こころの動きによって血圧度が上がったり下がったり、心のバロメーターだ。

一寸不安を抱えるとぐっと上がる。自分では意識していないような、いや努めて冷静に対処し、平静を装っていても数値は正直にその日のこころの動きをキャッチする。

異常なくらい上がる時がある、と心配になる、するとまた上がるという悪循環。

微妙な心の動きは直ぐに消えてはくれないから厄介だ。

しかし良いことはその事によって聖書を読む事、祈る事、瞑想する事にせき立ててくれる。「静まって私が神である事を知れ」の言葉の前に、静まることをさせてくれる。

これは忙しい毎日の中にあって本当はイチバンしなければならないことなのだ。

血圧が上がることによって「静まる」ことを学んだ。

「静まる」ことによって、神に呼び求める叫びが出てくる。神をほめたたえ、神がともにいてくださることを痛感する。

感謝なことだ。

Wednesday, July 27, 2005

頑張らずボツボツ

近くの公園で青空市場がここ数年週2回開かれている。

歩くと20〜25分、車だと5分の距離である。以前一度歩いて行ったことがあるが、もう二度と歩いてくるまいと思った。

何度か途中で休憩し、足がびんびんに棒のようになったのが記憶から離れない。

一ヶ月前から食事療法を始めて随分と体重が減った。

近くを30分、40分と歩けるようになった。体が軽くなると歩けるものだ。

今日その公園まで歩こうと挑戦した。

行き25分掛かったが、調子は上々。小一時間ブラブラしながら、白桃やプラムを試食しながら、結構楽しんでそのまま帰ってきた。

正味1時間40分、立ち通し歩き通しでよく持ち堪えたものだ。

これでも昔は(中学、高校)マラソンもやったし、アメリカに来てからも、50マイル競争(80キロ)に優勝した事もある。

大学を卒業してからは運動と全く縁を切ってしまった。

手術で腹筋を切ってしまってからは、特に歩くことに困難を覚えた。

今は、少しずつ健康のために歩く事を真剣に続けていかなければならない状態である。

これは死ぬまでやらねばならないだろう。

続ける事は力だ。頑張らずボツボツ、楽しみながら、続けて行こうと決心している。

Saturday, July 23, 2005

このままの私

日本から二人の女子高校生がきている。

一人の子は小学校のときからチビを気にし、何とか背が伸びたいと先生に相談に行ったら、「牛乳を飲め」と言われて、毎日飲んだら骨ばかりが太くなったそうだ。

次に相談に行ったら、「毎日背伸びをしろ」と言われた。来る日もくる日も、背伸びをしたら、ふくらはぎが太くなった。

次に相談に行ったら、「お前の栄養分は全部髪の毛に行っているのだ。髪を切れ」と言われ当時腰まで伸びていた髪の毛をバッサリ。

随分と努力したけど、結局このままの私でよいのだと思えるようになってきた、そうだ。

Friday, July 22, 2005

16才の老犬

うちには犬が2匹いる。SPUD(スパッド)は16才の老犬だ。

人間に例えるならもうとっくに80才は越えているだろう。腰と後ろ足がめっきり弱く(リューマチだ)、
ガレージやキッチンなど地面のよくすべる所ではよくこけている。

それでも元気はある。ボールを投げてやると取りに行くがもう持ってくる体力がない。

ご飯時にはチビのJJ(ジェイジェイ)が呼びに行く。

その時に事件がおこる。

JJはいつも吼えながら、庭で寝ているスパッドにご飯を報せに行く。じゃれている積りなのだろうか、JJはスパッドの首辺りを噛み付く。

すると腰の弱い大型犬のスパッドが倒れて、何とも言えないグオーン、グオーンという悲痛な声を出す。まるで断末魔のような声だ。

家にいる者がみんな吃驚して外に飛び出すくらいの、悲壮な泣き声だ。

3年前まではJJなんてまるで相手にしなかった、前足でJJを押えつける位、威風堂々としていて、大型犬の貫禄があった。

それだけに立場が逆になったいま、過酷な自然界の生き様を見せられる。

私だって元気はあるが体力が全くない今、いくらあがいてもどうしようもない。

せいぜい食べ物に気をつけ、適量の運動を欠かさない事だ。

チビのJJの方に皆の人気が高い。

でもボクはこの老犬がこよなく愛しい。

いつもハグをしてやる。それが気持良いらしい。

最後まで愛情を注いでやりたい。

ポカーン

ボクにはイヤにのんびりした所と非常に神経質なところが同居している。

集会の最中にヒソヒソ話しは物凄くイライラするし、機中でフライト・アテンダントが彼らだけで話し込んでいるのを見たり、デパートやコーヒーショップで客がいるにもかかわらず、向こうで店員が話しこんでいる。

スーパーのキャッシャーが店員同士で話しながら、手を動かし、時々話に夢中になって手が止まったりすると、もう爆発しそうだ。

「計算間違うなよ!!」と怒鳴りたくなる。

一方、集会中に子供の声がしてもあまり気にならない。

子供の声は応援歌と誰かが言ったが、確かにそうだ。来たくもないところに親の都合で連れてこられ、しかも遊び場もない。同情するところは多々ある。

大人は自分の都合で来たり、それが仕事であった場合など言い訳の余地はない。

だからよけい神経がイラつく。

もう一寸おおらかになりたい。そうすれば余計な神経を使わずにすむし、精神衛生上良いはずだ。妻に当り散らさずにすむ。可哀相に家内はポカーンとしている。

Tuesday, July 19, 2005

元気溌剌

時々お預かりしている8才と5才の兄妹がいる。

なんとも羨ましいくらいの仲良し兄妹。よく二人でキャッキャッ言いながら遊んでいる。

今日お兄ちゃんを学校に迎えに行き、一寸買い物につき合わせた。

お詫びのしるしに何でも欲しいお菓子があったら買って良いよとすすめたところ、5つ袋がつなぎ合わされた菓子を買った。

「妹と分ける」と何ともしおらしいことを言う。

この8才の男の子が、体の不自由な家内が車を乗り降りするたびごとに、ドアーの開け閉めをしてくれる。

家内は、「さすが男の子ね!」「リトル・ジェントルマンなんだね」「そうね」小さいうちから誰が教えたわけでもないのに、人を労わり助ける事を知っている。

多分、教会の男性達が家内にしてくれているのを見ていたのだろう。感心な子だ。

母親が生活を支える為に仕事に出ていて一生懸命働いている事をこの兄妹は知っている。

だから夜遅くなっても静かに母親の帰りを他人(ひと)の家で待っている。

誰かが苦労しながら自分を育ててくれている事を承知しているからこそ、人にも優しく、また小さい時から我慢や忍耐する事を学んでいるのだ。

でも彼らは決して卑屈ではなく、自由で実に元気溌剌だ。

Sunday, July 17, 2005

感謝

さっそく昨日のブログを読んだ人が電話を掛けてきてくれた。

それも遠い他州の人でいつも私の事を祈って下さっている夫婦の方である。

彼らの親しくしている医者の方にわざわざ訊ねて下さったのだ。

色々と教えていただけて、感謝で心が一杯だ。

何よりも嬉しいのは、遠くにいても心を通じさせていただいている事だろう。

ご主人とは一度も顔を合わせた事がない。けれどもよき友、祈りあえる友は心が通うものだ。

今回の事を通してたくさんの親切をいただいた。

人の愛を知った。

この貴重な体験を何時までも忘れずに、私も人に分け与えさせていただきたいと願う。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Saturday, July 16, 2005

教えて

近頃声が枯れだしてきた。

気が付いたのが7月2日からだからもう2週間になる。

食べ物のせいだろうか、或いは首の血管の詰まりに関係があるのだろうか。

歌がすっきりとした声で歌えないし、話をするにも何だか上ずっている。

誰かこの因果関係を知っている人がいたら、教えて欲しい。


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Friday, July 15, 2005

ディズニーランド

15年振りくらいにディズニーランドへ行った。 

ただ送りに行っただけだが、何処でドロップ・オフするのか解らない。 

以前の場所とは違っていた。 

戸惑いを覚える。

入場料が随分と高くなっていた。 

確か以前は30ドルくらいだったが、56ドルになっていた。 

パークが二つに増えていて、二つとも入ると76ドルだ。

僕の収入は以前ディズニーランドに行った時から比べたら3分の1になっていると言うのに。

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Thursday, July 14, 2005

新鮮な若者たち

昨日、日本から若い(17才と18才)女の子が来た。

空港に着いた途端からもうそれはそれは興奮のし通し。

アメリカの地を踏みしめた感動を率直に表していた。

アメリカの道路、アメリカのフリーウェイ、アメリカ国旗、ビル、歩いている人、

松の木や、ハンバーガーに至るまで。

とにかくキャーキャーと感動の連発。

無感動、無関心が近頃の若者の特徴かと思ったら大間違い。

こんな新鮮な若者がいた!!

しかもこの子たちは感心な事に、通信制の高校(月曜日だけ学校に行く)、昼間働いて夜は通信で勉強。

一所懸命働いて貯めたお金でアメリカに来た。 

感動もひとしおであろう。


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尊い存在

車だったらもうとっくに廃車になっていても可笑しくない、この古びた体。

よくもっているなぁ、と感心している。 

なんだかタイトロープ的(綱渡りの人生)な生き方をしているようだ。

陶器や絵画などなら骨董賓としても珍重されるだろうが、使い古した粗大ゴミ、廃棄処分となっても文句は言えない。

家族と神様は少なくともこんな私を大切にしてくれる。

「私の目にはあなたは高価だ。 尊い存在だ。」と神様は言ってくださる。

<高価>だなんて思っても見なかったが、ボクに代わる存在は世界中何処を探してもいないわけだから、尊い存在に間違いない。


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Monday, July 11, 2005

一番の印象

昨日、久し振りにPaul Getty’s ミュージアムに行って来た。

家内を車椅子に乗せて廻ったので目がくらくらして来だし、30分もしないうちに、カフェテリアに入り、コーヒー一杯飲んでそのまま帰ってきた。

短い時間だったけど、あそこに飾ってある小さな中世期に織られたジュータン一枚と、私達の家の値段と同じくらいかなと思った事だ。

あれ一枚あれば・・・なんてセチ辛いことを考えるなんて、芸術性も教養すらもない自分に呆れ返った。 

これが今回の一番の印象かな。


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Saturday, July 09, 2005

かぁちゃん、ありがとう!!

家内がぼくの健康の事を考えてくれ、遠出のドライブに特製弁当をこしらえてくれた。

修養会場には美味しいキャフェテリアがあり、どうも目移りがするが、野菜とコーヒーだけにした。 

さて、腐らないようにとクーラーを入れた発泡スチロールの箱からやおら玄米のおにぎりを取り出し、食べようとしたら、なんとカチカチに凍ったままだ。

冷凍庫から取り出したそのままをクーラーの効いた箱に詰めたら、溶ける時間がない。

これじゃー歯も立たない。

折角の愛妻弁当も、腹の底から湧き上がって来る、こらえきれない笑いのため、食べずとも充分に腹応えがあった。 人生楽しいなぁ〜。

かぁちゃん、ありがとう!!

Nice try!!

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感謝、感謝!

神の配剤と言うか妙というか、実に感謝な日々である。

食べ物の性なのだろうか、近頃気力が失せている。 何をするにもやる気がしない。

説教の準備などとても出来るものではない。 

ところが上手くしたもの、本当に感謝なことに、前々から計画していた事が今になってその功を奏している。

この3週間の礼拝メッセージは以前からゲストスピーカーがたてられていたのだ。

しかも、修養会のために家庭集会も休む事になっている。

いま、休暇を取っているわけでもないのに、本当にゆっくりとしている。

感謝、感謝!

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Tuesday, July 05, 2005

感謝の日

今日は“ジュライ・フォース”、日付がそのまま独立記念日のことを言う。

ボクの人生の中で際立った独立の時が3度ある。

最初は高校3年の時。 両親がボクが小学3年のとき離婚して以来、伯母や叔父の家に預けられ続けて来た人生から独立して極貧の世界に飛び込んだ時。

2度目がアメリカの大学を卒業後、10年の会社勤めを止めて、会社を独立させた時。

3度目が30年の働きを止めて、開拓教会の牧師になった時。

いずれも人生の節目になっているし、17歳に独立したことが後の人生に大きな影響を与えている。

親方日の丸式の組織にはどうも馴染めない傾向になって来た。 

一匹狼的な生き方がボクの人生の大半を占める。

一人の時は良い。何処で野垂れ死にしようが、あまり気にしなかったが、家内には随分と苦労をかけたし、今もかけ通しだ。

ここまで病身の身でありながらよく付いて来てくれた。
 
独立記念日は家内に対する『感謝の日』でもある。

家内を一度聖地旅行(イスラエル)に連れて行く事が僕の夢でもある。


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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Sunday, July 03, 2005

玉ねぎ

ボクにとっては新しい発見だが、玉ねぎがこんなに美味しいとは知らなかった!!

大体玉ねぎは好きで、ハンバーガーを買っても必ず「エキストラ・オニオン・プリーズ」と言って余分に入れて貰う。

玉ねぎを入れたサラダだったらモリモリと食べるし、水にさらさないでそのまま鰹節を振りかけ醤油をたらして生で食べる。

しかし時間をかけて炒めて食べると全く味が違ってくる。

一個分をスライスしてフライパンでゆっくりと炒める。

大体50分くらいかけて炒めるとあめ色に変ってきて粘り気が出てくる。

その甘味のあるまろやかな味は何の調味料も一切受け付けない、孤高を保った高貴な味でさえある。

そのまま一個分をぺろりと一気に平らげる事ができる。 毎日一個食べる。

毎日塩気の一切ない味気ない野菜スープばかり食っている者に取っては、この一個の玉ねぎがどんなに食を潤してくれる事か。

右手の薬指の第2関節に肉刺(マメ)が出来るほど精を込めて炒める作業が一向に気にならない。 

その上この炒めた玉ねぎは血をさらさらにしてくれるのだから、これ以上良い事はない。

朝に玉ねぎ、夜には垂れなしの納豆。さぞや血がきれいになる事だろう。

心もついでにきれいになればよいが、そうは問屋がおろさないか。

安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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