Friday, September 30, 2005

何とかしてくれ!!

もう明日から10月、早いなぁ〜。

毎日忙しく動き回って、時の過ぎるのも忘れるくらいの生活の波ではない。 

にもかかわらず、時が早く流れて行くのが実感。

秋の季節にもかかわらず、猛烈な熱さに見舞われている南カリフォルニア。

エアコンなしのこの熱さの中で、顔を真っ赤にしながら、メッセージの用意は、血の巡りを遮られている様で、一向に進まない。

私の書斎はガレージ中にあって、風通しも悪く、外の熱気がそのまま伝わってくるので、もう堪らない。

何とかしてくれ!!

用意が出来ようが出来ないままでいようが、日曜の朝には講壇の前に立たなければならない。 〜主よ助けて下さい〜

Thursday, September 29, 2005

阪神優勝

阪神が優勝した。 

リーグ優勝だが、興奮ボルテージは大分上がっている。

小学生の頃からのファンであるが、実際試合を見たことは小学校の時一度くらい、後はテレビで村山や小山時代に見たきりであとは殆どない。 それでもずっとファンであったことには変りはない。 

途中あまりにも不甲斐ない負け方をするので何度か他チームに鞍替えしようと思ったが、応援するチームが出てこないまま、60年近くが過ぎた。

不思議だ、ファンの心理は。

決して巨人のような派手なチームではないが、確実な勝ち方をしている。

本塁打数だって、6チーム中5番目と少ない。 しかし失点は一番少なく、得点は一番多い。

盗塁も2番目で多く、機動力のある理想的なチームである。 

ビジネスの世界でも言われる“出ずるを制して、入るを計る”と共通している。

奥様方が家計簿をやり繰りするにも、限られた収入内で、出費を出来る限り押える。少しでも貯金に廻す。家計は万万歳だ。

人生には良き書物に出会うことが大切と言われている。 聖書は一級品、最高の書物である。 良く読み神の言葉を蓄え、品性を磨いて行きたい。 

内から出てくるものはキリストの香り。 これこそ理想の生き方である。

さぁ、日本一を決めるパ・リーグ覇者との一騎打ち。
阪神優勝!日本一なるか!? 応援しよう。

Sunday, September 25, 2005

上からは雨、地からは水撒き

2、3日前、季節はずれの激しい雷雨があった。

日本では台風がボンボンやってくるし、又もやハリケーン“リタ”の暴風雨が恐ろしい。

ここカリフォルニアだけがノホホンとした季節で、なんだか皆さんに悪いような気がしてならなかった時の雷雨だったので、ほんのチョッピリ気持を分け合ったような気がした。

この間大きな邸宅に引っ越した教会員の方の家では今までになかった立派な庭が前にも後にもある。 

オートマテックのスプリンクラーで、雨が降ろうが風が吹こうが時間が来れば水を噴出す。 

それを見た奥さん曰く、「何だか切ない気持になったわ」。

だろうね。

上からは雨が、地からは水撒きのスプリンクラー。

カリフォルニアならではの風景か。

Tuesday, September 20, 2005

House Warming Party

今日ハウス・ウォーミング・パーティー(House Warming Party)に招かれた。 

小高い山の中腹にある、閑静な住宅街、それも高級な佇まいの家が立ち並んでいる一角にある家。 

4ベッドルームに4バスルーム、広いリビングとダイニング・ルーム。

庭も広く、立派な花壇、特にバラ園が美しく、アバカドの木が2本、トマトやきゅうり畑、オレンジ、レモン、りんごの木などが植わっている。

30人ほどの大人と10人くらいの子供達で、大層にぎやかなものでした。

このご夫妻は結婚されてからこれで3度目の家だ。 家も引っ越すごとに立派な大きなものとなっている。

しかし所詮私たちは地上では旅人に過ぎない。

いくら大きな家に住んでみても、やがては古くなり、朽ちて行くもの。

朽ちる事のない永遠に変らないものに目をいつも向けて行きたい。

天国には私たちのために永遠の住まい、マンションが備えられている。

そこに行き着くまで地上の家は仮の宿だ。 

しかしその仮の宿さえ、キリストを「我家の主」として迎えなければ家の祝福はない。

敬虔なクリスチャンであるご夫婦の新しい住まいがキリストを土台とした家であることを嬉しく思う。

そこには神の約束された祝福があるからだ。

習慣

近くの公園で火曜日と土曜日、青空市場(Farmer’s Market)が開かれる。

近頃頻繁に行く。 

理由は私の健康のためにオーガニック野菜を買いに行くためだ。

ボクが一人で行くときはサッサと目当ての物だけを買って帰ってくるので、正味往復の時間を合わせて20分もあれば充分。

家内と出掛ける日には1時間は掛かる。 

家内がまず試食を片っ端からする事から始まる。 こちらの白桃、あちらのプラムととにかく買い物をするより、食べ歩きに時間が掛かる。 

同じ様にアメリカ人の同じ人とよく出会う。

東京に行くとデパ地下には威勢のいい声とともに、ご婦人方がご試食に目を輝かせている。

東京もここトーレンスの田舎も人種を問わず、基本的にはやる事は同じだ。

古今東西、今も昔もこの光景は多分変らないのだろう。

100年先も同じことをやっているに違いない。

人間、食べる事と習慣と言うか性格に関しては大した進歩はしていないようだ。

貧乏性

ゆっくりと休む事を覚えたのは良いが、何だかやる気が失せてきたような気がしてならない。

力が湧いてこないのだ。 本も読む気がしないし、聖書も祈りも・・・、何だか気が抜けたようだ。 

テレビも余り面白い番組はないし。

10月日本に旅行に出かける。 その用意もままならないでいる。

やはりボクにはプッシュされるものがないと駄目らしい。 

ようは貧乏性なのだ。

いつも忙しく動いていないと安心してられないし、活力が沸いてこないのだ。

10月が勝負かな。

Tuesday, September 13, 2005

自分のペース

ビジネス時代を含めて、こんなにゆっくりと休養を取ったのは初めての経験だと思う。

20台の始め、肺結核を病み熱海の海岸近くの親戚の家で1年間養生させていただいて以来だ。

人間何も突っ走るばかりが能ではないらしい。 休みが必要なときがある。 

体も精神も充電しないと、次に進めない事もある。 その辺りを見極める事はなかなか我々の時代の者は難しいらしい。

戦後の物がない時代、復興の時代に育つと、ただ必死に走る競馬ウマのように脇目も振らずに倒れるまで走る。

そのお陰で日本復興もなってきたわけだが・・・

いま自分に忠実に生きる事を少しは学ばされている。 

肩から力が抜けたと言うか、人様の言う事を少しは聞けるようになってきた。 

忠告してくださった方々に感謝している。 

まだ先は長い。 

これからが人生勝負。 

自分に与えられている人生課題と取り組みつつ、自分のペースを崩さずにやっていこう。 

Friday, September 09, 2005

断食と私

断食祈祷院から帰って来た兄弟が訊ねて来られた。 

青い顔をしているかと思いきや、血色もよく元気な様子、今日はジムにも行って来たそうな。

今日で断食10日目。

一昨年ホームステイした、あの時は高校生、今は大学生の女の子が今日日本から来てくれた。お土産に大好物の最中と餡子のたっぷり入った三笠を持ってきてくれた。

ハテサテ、最中を食いたいがこの断食の兄弟を目の前にしてどうしたものかと思案顔を見事に悟られ、「どうぞ、どうぞ、召し上がってください。私は全然欲しいと思いません。

断食がとても今心地よいのです。 

かえって、こんな甘いものを食べたがる人を可哀相に思います。 

私には断食が何よりのご馳走です。」参りましたね、この言葉には。

家内には最中は1日一つだけと念を押されているので、「それでは、折角だからいただきます。」とか何とか言って、もう口に入れてしまっている。

これじゃ、どちらが牧師かわからない。

ボクには節制というものがないのかしら、時々首を傾げたくなる時がある。

Thursday, September 08, 2005

16年目の約束

16年目に約束が果たされた。

1989年に始めて腹部の手術をしたときのことだ。 

ICUで意識朦朧としていた時、友人が見舞いに来てくれた。

物も喋る事が出来なかった状態だったが、かすかに彼が見舞いとして持ってきた<寿司折り>が目に入った。

ICUに寿司なんて食べれる訳がないのに!! 

こちらは口から2本も管を通し、色々な所に管がワンサとついていて、まるで植物人間の状態なのに、寿司とは。

それ以来、事ある度にこの事を話題にしてきた。 「寿司を見せるだけとは何事か」「わかった、わかった、寿司をご馳走するよ」と16年間言い続けていたにもかかわらず、実現しなかった。

今回退院後彼はその約束を遂に果たし、物凄い量の寿司を持ってきた。

2日にわたって4人で食べた。 堪能した。

彼の誠実さを噛み締めながら・・・、美味しくいただいた。

彼も肩の荷が降りたことだろう、もうしつこく言われなくて。

ファローアップ

術後2日目に一般病棟に移される。 

痛みはあるが自力でお手洗いにも立てるし、食事も美味しくいただける。 

朝食はパンケーキ、シロップ、バター、スクランブルエッグ風のもの、ベーコン、シリアル、コーヒー、オレンジ・ジュースなどが出てくる。

看護士長が見回りに来てホールを一日4回歩くように指示。

ここの看護士は白人、黒人、フィリッピン系、メキシコ系、アジア系と雑多。

みんな親切でプロ意識が高い。

看護士長は退院後も家に電話をしてくれ、体調の具合を確かめ薬をちゃんと取っているか、病院の待遇はどうだったか、歩いているか等を訊ねてくれる。

なかなかサービスの行き届いた病院のシステムだ。 

このような事は初めての経験である。

ファローアップは何処の世界でも大切である事を再度認識させられる。

教会でもこの事を忘れずにしてゆきたい。

Tuesday, September 06, 2005

主に感謝せよ。

暫くの間、私の病状記に付き合っていただきたい。

悪い所を摘出して、早く現場復帰したいと言う気持は押え切れなかったが、どうあがいても仕方のない事。

「主に感謝せよ。 主は恵み深く、その慈しみはとこしえに絶える事がない」と言う聖書の言葉を繰り返し繰り返し言っているうちに寝てしまったらしい。
まだ麻酔も打ってないのに・・・。 

「平安」、これこそが大切なのだ。

ナースのMacは20才のとき、フィリッピンの医療関係の大学を出て、直ぐにアメリカに渡ってきた。 25年のこの道一筋のベテランだ。

男性ナースは生涯で初めてだったが、はっきり言ってボクには男性の方が良い。

まず、化粧の匂いがしない。 あれって神経が過敏になっている術後は特に随分と気になるものだ。 先回の手術の時、堪らなくなって一度婦長に苦情を申し上げたことがある。

それに力があるから、起こしてくれたりするのに楽々とやってくれる。

男性の気持も良くわかってくれる。

私も恥ずかしくない。 

夜8時からナースの交代だ。 夜も男性ナースだった。

落ち着いて眠れる気がする。

みんなありがとう。

急にガヤガヤ騒がしい音が聞こえる。

ICUのボクの居場所はナースステーションの真横。 土曜の午後5時ごろ。

そう、お目覚め第一声はMacに時間を聞いたことだ。

家内が心配そうにそばにいてくれた。

ボクが一番心配した事は、果たして術後声が出るかどうかだった。

Macに話し掛けたことで確認できた。

出る、出る、しかもしっかりとした案外と通る声だ。 思わず、またハレルヤ、と叫ぶ。

それにしても傷口が痛む。 物凄く大きなガーゼで覆ってあるからどれくらい切ったのか判らない。

よく見たら、体に5本のコードが巻きついていた。

全て機械でコントロールされている。

ナースが時々チェックに来る程度。 

夕食抜き。

忙しい日なのにまたもや娘が家内を迎えに来てくれた。 

引越しは兄と弟が手伝ってくれたらしい。

兄弟姉妹が相和して仲良いのを見るのは嬉しい。

みんなありがとう。

Sunday, September 04, 2005

退院

8月27日手術が無事終わって、2泊3日の病院生活も終わり29日に我家に戻ってきた。

病院の待遇も悪くなかったが、我家に勝るところなしである。

当日はアンジオグラフィー検査の時より落ち着いていた。

いきなり3階にあるICUに案内され、家内と娘の3人で入って行くと、ナースがニコニコと歓迎してくれた。 「ようこそICUへ。で一体誰が手術するのでしょうね?」

家内を指差そうと思ったが、娘がその前に「Him!!」と言って私を前に押し出す。

Macという男性ナースが私の担当だ。 適当に冗談を言いながら、テキパキと準備をすすめてくれる。 もうこうなったらまな板の鯉。朝の10時半。

手術は12時からの予定なのでまだ十分時間があるが、血液検査、胸のレントゲン写真をとる。 暫くしたらレントゲン技師が戻ってきた。 もう一度取り直し。

ボクの肺は人様より長いということで、フィルムに入りきらなかった。

そう言えば、一週間前に撮った時も同じ事が起こった。

学生時代運動をやってきた性だろうか。 歌を歌い続けてきた性だろうか。

肺が人様より長い事でチョッピリ得意になった。 何故だか知らないが・・・