Thursday, January 26, 2006

イヤーな気分

日本で最近、幼児教育ビジネスたるものが流行しだしている。
つい最近までシルバー産業が囁かれていた。
揺り籠から墓場まで、なんでもビジネスにする逞しさに、頭が下がる。
生まれるにしても死ぬにしても、
誰かの世話にならなければならないのだから、
仕方ないにしても、何も大っぴらにビジネス、
ビジネスと騒ぎ立てることでもないだろう。
なんだか弱いものが利用されているようで、
イヤーな気分になる。

1歳くらいの幼児を集めて、マッサージを施したり、
ゴロンと回転させたり、平行棒の上を歩かせることをしたり。
こんなのになぜ金を払わなきゃならんのだ、
とオジさんはテレビを見ながら盛んに腹を立てる。

父親が子供を畳の上でゴロゴロ転がしてやったり、
兄弟や近所の子供と喧嘩をやらせたり、
塀の上を駆け回らせたり、木を登らせたり、
休みには公園や広場に連れ行って、
思いっきり走らせばすむことじゃないか。

幼稚園で専門家を雇って平行棒を歩かせたり、
床の上をくるりと一回転させるなんて、
あわよくば将来のオリンピック選手を目論む親のエゴか、
見栄にしか思えない。

と思いながら、これを教会で取り入れたら、
若いお母さんたちが来るかも知れないなんて、
やはり考えてしまうんだねぇ〜、職業柄・・・。

Tuesday, January 24, 2006

毒が薬に

むかし、まだボクが血気盛んで仕事をバリバリ(?)やっていた頃のこと、口の悪い親友と世の巷を夜な夜な闊歩していた。

ある時、バーに入ると隣に化粧の濃い(大概彼女らは濃い化粧をしているが)女性が横に座るや否や、「お前臭いから向こうへ行ってくれ!!」
とその友人がのたもうた。
一瞬ボクはビクッとした。「アラッ、すぐに慣れるわよ」と彼女シレーッと言い放った。
「そうか、慣れるか。ほんならしゃーないなー、そこにおってもええわ。」
天晴れな女性の返答。あそこで腹を立て、席を立ったら、プロとしての面子が立たない。
二人とも毒舌に対して免疫があったのだろう。致命傷にならずに済んだ。

その後、彼女はその仕事を止めて、教会に行きだしてクリスチャンになった。
30年以上経っている今もなお、3人とも親交がある。

彼の毒舌には報いがあったという訳だ。
彼の言葉にはあるいは「毒」があったかもしれない。その「毒」を見事に制した彼女。
その事によって彼は彼女を認め、毒が薬に変わった。

皆さんは滅多に使わないほうが宜しい。致命傷を受けて立ち上がれなくなるかも知れないから。

Monday, January 23, 2006

平和を作り出す言葉

12月牛肉輸入解禁となった日本で、先日成田空港にてBSE問題で禁止されているはずの脊柱部位が混入していたことが発覚。すぐに全面的輸入禁止措置を日本政府が取った。

それに対して米国の農務長官が全面的に自分たちの非を認め、「ごめんなさい」と謝ったニュースを見た。

輸入禁止措置は残念だったが、なんだか爽やかな感じがした。一国の長官が非を認め謝罪することはなかなか難しいこと、それをすることがどんなに勇気の要ることか想像に難くない。

外交問題ではなかなか本音で話し合うことはない様に見えるが、非道な事をしていても謝罪一つないのも、我々庶民にとって理解しがたいことだ。

「ごめんなさい」と一言謝ることによって、どれだけ多くの難問題が解決できることだろうか計り知れない。もっとも、会社の役員や、医者、警察がしょっちゅう頭を下げているのも問題だが。

「ごめんなさい」の一言は平和を作り出す言葉だ、と40年前渡米する時に伯父に教えられた言葉である。
それに「Thank you」「Excuse me」は必ず言えとも教えられた。

平和を作り出すというのは何も大仰なことではないのだ。

ほんの一言で人々との関係も良くなり、いがみ合いもあるいは無くなるのではないか。

でも、これがなかなか言えないで、人々はギクシャクしている。

思考回路から改善

シンプルライフを目標としているが、なんと難しいことか。
シンプルライフを実行しようといつも複雑に
考え過ぎている自分に気がつく。
完全に環境を変えないと実行不可能だ。

先日、手広くビジネスを手がけておられ、
また大学でも教えておられう方と話す機会があった。
この方は年2回アフリカに行かれる。
身体障害者のために車椅子を持っていかれる、もちろん寄贈。
その他、障害者のために現地の人達に教育プログラムを施しておられる。
多くの貢献をしておられる方だが、とても謙遜に
「私は彼らから多くの事を学んでいます」と言われる。
それは如何にシンプルに人生を生きるかと言うこと、とおっしゃいました。

煩雑なことが余りにも多く、振り回されている状況にあって、毎日これから朝一番に、
「今日もシンプルライフを実行します!!」と宣言し続けようと思う。
まず、思考回路から改善だ。

Friday, January 20, 2006

将来の楽しみ

日本から最も尊敬する牧師がロサンゼルスに来ている。

彼が教えている神学校の在学生を一人連れて来ており、ひと月のアメリカ滞在中、その神学生を巡回に同行させている。

一日に2度も3度も集会をし、一つの場所から他の場所への移動も大変である。実地教育をまさに地で行っている。

「彼を育てるのが私の仕事です」とその牧師は言われる。

その牧師は神学生のために余分な支出もあるだろうし、自分の時間も割かなければならないだろう。労力も惜しみなく注ぎ出さねばならない。

その神学生が将来牧師としてやっていけるように、マナーから言葉使いまで細かく注意し、証しの仕方や人との接し方、服装に至るまで指導なさる。

まるで親が子供を育てるように指導されている。

いわば他人なのに、そこまでして始めて一人前となって使い物になるのだろう。

人を育てると言うのはナント労力の要ることか。

しかしその報いも大きい、将来の楽しみがいっぱい待っている。

人を育てる

いとこの一人娘の誕生日と婚約発表をかねたサプライズ・パーティーに行ってきた。
彼女の生まれたときから知っている。もう婚約、そして結婚とは!
光陰矢のごとし、ボクの頭も真っ白、毛も薄くなってきた。さもあらん、彼女が生まれてはや27年も経っているのだ。

一人娘だが、人を育てると言うのは一つの事業を運営するのに匹敵する。
徹底的に愛し、受け入れ、時には優しく、時には厳しく躾ける。
反抗期にも親は寛容な心で受け入れ、忍耐を持ってただ待つ。
子供の喜びも悲しみも親は共有する。しかし子供が何を考え、外でどんな行動をしているかわからない。でも親は子を信じ、愛し続ける。

ボクは牧師になって一度に大勢の子供や兄弟姉妹が出来た。
彼らを育てるのが牧師の役目だ。まったく忍耐の要することだ。
エネルギーがいくらあっても足りない。
自分の実の子供や兄弟だと何でも言えるし、時にはスパンクのような体罰も与えることが出来る。教会員にはそうは行かない。
好き勝手なことは言われるが、言い返せない。ここが実の親子兄弟と違うところだ。
人を育てるのは並大抵のことでは出来ない。

こんな親の、牧師の苦労、一寸でも分かってくれる人に出会うと、涙の出るくらい嬉しいものだ。
一人娘が嫁ぐ日も真近い。今父親は複雑な心境らしい。チラッと漏らしていた。

Tuesday, January 17, 2006

ビジネスと聖書 

「何事でも自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」(マタイ7:12)
これは黄金率(ゴールデンルール)として世界中の人々に愛される聖書の一句です。

この聖句を実践し多くの人から喜ばれたと言う事業家がいます。

世のビジネスの根本はこの句から説明できると思います。日本でも起業家にクリスチャンが多いのも聖書の主張の一つ、「他利」主義が生きているからではないでしょうか。

最近読んでいる本に『幸せレッスン』がありますが、著者は熱心なクリスチャンで、ホーリネス教会の説教をも担当する「勧士」と言う奉仕職にあり、かつ、広島で最も大きい福祉事業IGLを起こしその理事長の重職をも果たしています。

この『幸せレッスン』の中に特に心引かれるのは、他利主義に徹している点です。

著者は貧しい牧師の家に生まれ、父母の伝道の辛酸をなめる様な生涯を見て育ち、この両親の他利主義を社会で実践してみようと決心します。まず初めに幼児教育の急務を実行し、ついには7つの保育園と幼稚園を作り、特別養護老人ホーム、その他30以上の関連事業を起こされています。この著者にその起業の誕生から育成までがいかんなく語られ、読む者に心迫る感動を与えてくれます。

私は書くも聖書を実践し成功した日本人をこの時代に見出せることを神に感謝しないではおられません。
この著者こそ聖書のゴールデンルールを我々の目前にパノラマのように明らかに示し、教え諭してくれます。このような本を私は他に知りません。

空論空理、机上の空論のビジネス論を言う人は多いが、他利(マタイ7:12)を現実に生身を持って、ビジネスに生かしたこの人物に感動しない人はいないでしょう。私たちも「他の人にもそのようにしなさい」を持ってビジネスに進みたいものです。

中野雄一郎(国際巡回伝道者、JTJ宣教神学校国際学長)


注:『教会ら始める幸せレッスン—あなたの人生が、虹色に変わる瞬間』永見憲吾著 A5判 出版社:ザメディアジョン 価格:1,600円

Wednesday, January 11, 2006

つもり違い十か条

ちょっと代わったブログ、友人から回ってきた。

つもり違い十か条

      1. 高いつもりで低いのが教養
      2. 低いつもりで高いのが気位
      3. 深いつもりで浅いのが知識
      4. 浅いつもりで深いのが欲望
      5. 厚いつもりで薄いのが人情
      6. 薄いつもりで厚いのが面の皮
      7. 強いつもりで弱いのが根性
      8. 弱いつもりで強いのが自我
      9. 多いつもりで少ないのが分別
     10. 少ないつもりで多いのが無駄 

これに加えて
*あるつもりでないのがチェッキングアカウントの残高。
*ないつもりであるのが、チェッキングのオーバードロー
*あるつもりでないのが謙遜
*ないつもりであるのが傲慢

あなたも何か付け加えてみては?

Monday, January 09, 2006

ずしんと重い

息子の車の調子が悪いということでガレージ入り。車がないと仕事に差し障るので僕の車を持っていってしまった。

親切な教会員の方がその間不便だろうからと、車を貸してくださっている、あの高級車のBMWだ。 今日はそのBMWで韓国マーケットへキムチを買いに行った。

夕方には近くの公園にジョッギングのために乗っていった。あまり乗ってゆく場所としては相応しくない、なんとなくアンバランスの感じ。しかし慣れというのは恐ろしく、2,3日もすればなんとも思わなくなるだろう。

アメリカ・ナバホインディアンの言葉に、良心というのは胸の中にある先のとがった三角定規のようなものである。良心に差し障りのあるとき、その三角定規がくるくると回り、チクチクと胸が痛む。それが良心というもの。

しかし、何度も回っているうちに、その先も丸くなりそのうち感じなくなる。慣れとは恐ろしいものである。

「初心忘るべからず」の言葉がずしんと重い。

祈って求める

教会から強力な最新のコンピューターを買ってもらった。

私の頭と同じで(私の頭は年月が経っているにもかかわらず、あまり使ってないので新品同様)、沢山の機能とすばらしい可能性があるのに使い方がわからないので相変わらず旧態依然とした学習能力のままで使っている。

モニターが大分イカレていて、画面が揺ら揺らと蜃気楼をいつも見ているようなので、オフィス・デポに行くたびにあのペチャンコのモニターが欲しいなあと値段ばかり見てた。

まだまだ手が届きそうにないと今は諦めてるが、いつかきっと、という淡い思いで・・・。ところがどうだ、昨日いきなり電話がかかってきて、「先生、コンピューターの新しいのを探しているのだって?」という電話がかかってきた。「いやコンピューターは教会で買ってもらった。でもモニターはまだ欲しいと思っている」と一言付け加えた。

「アラ、モニターあるわよ、差し上げましょうか」「僕の探しているのはあのペチャンコのだけど・・・」「それよ」「エッ!?」「うちの旦那が会社から3台もらったの。なんだかセールスのボーナスらしいわよ。新品よ」

今日早速取り付けてもらった。真っ黒の色で、教会から買ってもらったコンピューターとぴったり同じ色で、perfect match!!

今年はすべて、どんな小さなことでも祈って求めることにした矢先の出来事だった。

飛び跳ねながら、感謝、感謝!!

Friday, January 06, 2006

天国に 家がなければ

お正月明けの葬儀、故人はあと一ト月で99歳、死ぬ間際までかくしゃくとしておられたとか。

奥様には、「先に行って待っているから、お前も早く来い。」が最後の言葉。

まさに�凱旋�と言う言葉がピッタリだ。

“往生”という言葉に慣れ親しんで来た我々には、最初のうち”凱旋”という言葉にはちょっと、抵抗感というか、恐れ多い感じがしたものだが、

この世で一国の権力者であろうが、政財界の指導者であろうが、

いわゆる成功したといわれる人であろうが、破産宣告を受けた者であろうが、

貧乏のどん底生活をした者であろうが、ホームレスであろうが、

どんな者であろうとも関係なく天の御国に入る時には、まるで凱旋将軍のように迎え入れられるのだ。

そのように迎えてくださるお方がおられるということは何と幸いなことでしょうか。

死は最後ではないのだ。

主を信じる者は死んだ瞬間、間髪を入れずオートマティックドアーが開いて、パラダイスに入れられる。その事は神によってギャランティーされている。

「先に行ってるからお前も早く来い」といわれたご主人は、イエス・キリストと顔と顔を合わせることの出来るところが本当に素晴らしいところだから、奥様にもっと素晴らしいところに来てほしいのだ。

残された奥様もニコニコしておられた。


天国に 家がなければ ホームレス

Thursday, January 05, 2006

セレブレーション

新年明けましておめでとうございます。

しばらく何かしら悶々としていまして、ブログを書く気にならなかったことと、ちょうどコンピューターの交換時が重なって、ご無沙汰をしていました。

元旦がちょうど日曜ということで、今年の出だしがとても良く、何か良いことありそうなってな感じで期待感で胸を膨らませています。

正月明けを待っておられたのでしょう、4日に12月26日に亡くなった方の葬儀がありました。普段着で(カジュアル)来てくださいということで、普通の背広を着て行ったのですが、なるほど遺族の方も誰一人背広にネクタイをしておられる方は誰一人もおられず、女性の方もごくごく普通の格好で来ておられた。黒ずくめよりよほど明るくてよい。

メッセージを取り次いだ日英両語の牧師たちも冗談を言って聴衆を笑わし、最後のお別れのとき(Final Tribute)も飾ってある写真のところには行かず、ほとんどの人が列は成して直接遺族の方のところに行き、まるで同窓会をしているような感じで、ワイワイガヤガヤ、キャハッハッハと大声の笑い声も聞こえる。
これ本当にお葬式なの? と訝るほど、天国に凱旋して行った人にふさわしい記念会だ。司会のとき「セレブレーション」という言葉を使われたのが正にその通りとなった。

とても印象に残る素敵なお葬式であった。