Friday, March 31, 2006

酒飲み血統

時々、一番下の息子が、夜中に我が家に忍び込んでベッドに寝ているのを
朝発見する。部屋に入ると酒の臭いが部屋中たちこめ、ムーッとする。
よく捕まらないで来たものだ。

カリフォルニアでは2回飲酒運転で捕まると、真っ赤なプレートを車に付
けるべきと、いま審議している。確かに格好悪いし、人権云々と言う意見
も出ているそうだが、飲酒運転の輪禍にあって巻き添えを喰って亡くなる
方も多い。

巻き添えを喰うほど割に合わないものはない。

酒は程々がよいと思うが、寝る前に安全な体制を整えてから、ゆっくり
楽しみながら飲んで欲しいものだ。外で飲むと、つい羽目をはずす。

どうも薬として飲むより、害になる方が多い。
「禁酒運動の会」が世界的な規模であるのをご存知か。
これはAA(アルコール依存症の方たちを矯正する会)とは違って、兎に角
酒を一切飲まない、飲ませない人生を送ろうとするもので、これを世界的に
広めてゆこうとするものである。

日本で全国的に禁酒運動が活発化するのは明治19(1886)年米国キリ
スト教婦人矯風会のレビット、明治23(1890)年同アッカマンらが来
日して禁酒遊説を行って以来のことだそうだ。

ボクの親父も家内の親父も大酒飲みだった。
ボクも昔は飲んでいたが・・・。
血は争えない。

Thursday, March 30, 2006

反応力と祈り

早朝の電話には昔から異常に反応する。
スワッ、何事!!
大体、リリリーンと一回鳴ると受話器を取る。

仕事をしていた時には必ずと言って良いほど、緊急事態発生で悪い報せ。

牧師になってからもそれは変わらない。悪い報せというのは、さほど
ないが、緊急が多い。
或いは緊急でなくても、どうしても「今」と思われる方からの電話だ。

家内が心配する。
電話の内容ではない、ボクの反応にである。
あまりにも急にガバット起き上るので、脳溢血か心臓麻痺にならないかと
思うらしい。
これも習性だから、仕方ないし、一呼吸置いてやればよいのだろうが、
どうもそんなこと考えておれない。何しろ早朝なので頭がボーっとしていて
思考能力が極力低下している。
それでもすぐに電話で応対し、時にはすぐに決断もせねばならない。
特にお祈りをその場でする場合、相手の方にご迷惑ではないかと思う。
向こうは真剣に切羽詰っている事態なのに、こちらの頭がボーっとしていて
お祈りがうまく出来ない。言葉が出てこない。それでも必死になってする。

でも、嬉しいことだ。私が何も出来ないことは向こうも充分承知の上なのに
全能の方に取り成しの祈りをさせていただけるのだから。

牧師冥利に尽きる。

「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでに
 かなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」
                             聖書(マルコ11:24)

Wednesday, March 29, 2006

言葉の力

「言葉は感情的で、残酷で、時には無力だ。
それでも私達は信じている、言葉の力を。」
(ジャーナリスト宣言 朝日新聞)

こういう宣言を電車の中の広告欄で見た。

昨日も同じ言葉を、日曜礼拝の証しの中で聞いた。
そのご婦人のご主人が、ある日いきなりホームレスの人を家に連れてきた。
今晩この人を家に泊めてあげたいという。彼女は目に涙を浮かべながら、
手をぶるぶる震わせ、「ノー」と言って寝室に入りドアーをピシャリと閉め
た。
ところがすぐにせっせとシーツを換え、枕カバーを換えたというのである。
自分でもどうしてそうしたのか判らないくらい、くだんのホームレスのため
にベッドの用意をしたというのだ。
翌朝、ちょうどフライトの仕事から帰ってきたばかりの娘がその男と玄関で
出くわし、それは爽やかな声で、「ハロー」と言ったというのである。
そのときハッとしたそうだ。
自分も娘も小さいときから教会に行っていた。そのときに教えてもらった
神様の言葉によってそのような行動に出たのだと。

「神の言葉には力がある」と言って証しを締められた。

神の言葉は生きて働いていると言うのは、まことに真実だ。

Tuesday, March 28, 2006

世界の頂点に立つ

少し前になる話で恐縮。
日本滞在中、世界ジュニア・フィギュア・スケートで浅田真央が銀メダルを
取るという快挙があった。
しかし、報道陣や彼女のコメントはまるで敗戦将軍の様子。
第一声が「残念でしたね」である。
確かに金メダルを期待されてはいたと思うが、「よくやりましたね!!」
「いやぁー立派でした」ぐらいはあっても良いのでは。
全てのコメントはまるで、期待を裏切られ、金を取れなかった悔しさと、
失敗、不足感、敗退、といった否定的な言葉ばかり。

あの時は彼女なりにベストを尽くしたとしても、周りから来る重圧感で押し
つぶされそうだ。
世界の頂点に立つという事は、並大抵のことではないのだ。
技術より、意志の強さを養わなければやって行けないってわけだ。
こりゃたまらんわ。

そういえば、喧嘩だって、腕力より度胸のある方が勝つくらいだから。
あまり適切な表現ではないかもしれないが、でも彼女は競技には勝った。
何しろ世界で2番になったのだ。
立派なものだと思う。その事を評価してあげたい。

「私はまだその目標に達してはいません。ただこの一事に、全力を注いで
います。すなわち、過去に執着せず前にあるものを望み見、
ゴールに到着して褒美を得るために、一生懸命努力しているのです」
聖書(ピリピ人への手紙3:13~14)

世界の頂点に立つ

少し前になる話で恐縮。
日本滞在中、世界ジュニア・フィギュア・スケートで浅田真央が銀メダルを
取るという快挙があった。
しかし、報道陣や彼女のコメントはまるで敗戦将軍の様子。
第一声が「残念でしたね」である。
確かに金メダルを期待されてはいたと思うが、「よくやりましたね!!」
「いやぁー立派でした」ぐらいはあっても良いのでは。
全てのコメントはまるで、期待を裏切られ、金を取れなかった悔しさと、
失敗、不足感、敗退、といった否定的な言葉ばかり。

あの時は彼女なりにベストを尽くしたとしても、周りから来る重圧感で押し
つぶされそうだ。
世界的の頂点に立つという事は、並大抵のことではないのだ。
技術より、意志の強さを養わなければやっていけないってわけだ。
こりゃたまらんわ。

そういえば、喧嘩だって、腕力より度胸のある方が勝つくらいだから。
あまり適切な表現ではないかもしれないが、でも彼女は競技には勝った。
何しろ世界で2番になったのだ。
立派なものだと思う。その事を評価してあげたい。

「私はまだその目標に達してはいません。ただこの一事に、全力を注いで
います。すなわち、過去に執着せず前にあるものを望み見、
ゴールに到着して褒美を得るために、一生懸命努力しているのです」
聖書(ピリピ人への手紙3:13~14)

妻がそばにいること

暫く忘れていたクエン酸を2日前から飲み始めたら、何だか疲れが取れて
きたように思う。
一昨年秋、膝が痛くなってインドやバングラディッシュへの旅のあいだ中、
ずっと飲んでいたら痛みがすっ飛んでしまったのを思い出し、疲れも取る
事を思い出した。

昨夜のうちでの集会では、日曜礼拝のメッセージのシェアーを一人ずつする
ことになっているのだが、みんながそれぞれ真剣にメッセージを受け取って
くれている事をシェアーしてくれていたことも、ずいぶんと励みになり、疲れ
も何処かに行ってしまったように思う。

そのとき妻は、ボクが生涯後半になってから牧師になる事を決心した時から
自分には付いて行けそうにないと思っていたこと、その時リューマチが一番
ひどい時で、何も出来ない自分にいらいらしていたこと、等をシェアーして
くれた。
寝る前に、「あっ、言うのを忘れていたけど、でも今はよかったと思う。
幸せよ。」と一言いってくれた。苦労をかけるが、よく付いて来てくれている。
ボクの励みになっている。感謝なことだ。

今朝一番に、ニュースで例の姉歯元一級建築士の奥さんが亡くなった記事
を読んだ。飛び降り自殺らしいとのこと。
何だか非常にショックで、すごく胸が痛んだ。
何とも切ない気持ち、今まで忘れていた奥様の存在だったことに気づく。
彼女のいたたまれない心痛は察して余りある。いや、到底他人には分から
ないかもしれない。

ご主人、気力をなくさなければよいが・・・

ご冥福を祈る。

Saturday, March 25, 2006

倦怠期?

日本から帰ってくると疲れるのか、体全体が喪失感のようなものに陥る時
がある。
何しろやる気がなくなるというか、何をしても気が乗らない。
家を出るのが億劫で、ゴロゴロしてテレビを見ているか、昼寝をしている。
本でも読めばよいのだが、2,3ページでまぶたが閉じる。
何かを読みたいという意欲さえない。食欲さえ進まない。
食べられないかというとそうでもなく、出されると食べる。
幾ら昼寝しても夜はちゃんと眠れる。でも朝起きるのが辛い。
時差ぼけで夜中に目が覚めるかと思えば、それもない。
こりゃいったい何だ。

感心なことに、日曜のメッセージだけは毎日用意している。繰り返し読ん
では修正している。これだけは手が抜けないのだ。

一つくらい真剣に取り組めるものがある事は幸いだ。

Thursday, March 23, 2006

回復力の低下

近頃成田から新宿までは成田エクスプレスを使う方が多い。
時間が正確という理由からだけど、投宿先の世田谷の明大前までは税関を
出てから3時間近く掛かる。本当に遠い。
疲れる。
何とかならないのだろうか。こんな国世界を探してもあまりないのでは。

それに引き換え、LAX着後、税関を通過して家まで1時間も掛からない。
本当にラクだ。
夕方から翌日までぐっすりと寝ることにしている。
時差もこうすると比較的早く取れるが、何しろずいぶんと今まで使って
きた体、少なくとも1週間はまだ辛い。

近頃日本でも、帰ってきた時も1週間は,眠りのために、薬を使用すること
にしている。
出来るだけ薬の助けを借りたくないと思っているが、これも寄る年波か、
そんなこと言ってられない。

何とか体を楽にするように、自然にはもう出来なくなってきている。
自然治癒力もずいぶんと弱まってきている。

「ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。」
 =聖書

Wednesday, March 22, 2006

サービス精神

機中にベイビーや幼児がそばの席にいると最悪だ。
ゆっくりと休めないばかりか、イライラしてくる。
親はもっと可哀想だと思いきや、さに非ず。オロオロするかと思えば、
平然とお休みなっておられる。

エコノミークラスのフライト・アテンダントはそんなに手伝う様子もない。
(全く関与しないというのではない。時には遊んであげている。)
これがビジネスクラスや、ファーストクラスになると他のお客様に迷惑
になると思うので、急いで抱き上げ、親の代わりにあやして上げる。
仕事とはいえ、笑顔を以ってあやす姿は、何だかぎこちない。

ボクも一度自分たちのコドモと友人の子供6人を連れて日本に行ったことが
ある。
もう大変だった。2度としたくない!!

機中にもナーセリー・ルームのサービスがあればどんなに親も安心して
行けるだろうか。他のお客も安心してゆっくりリラックス出来る。

まぁこのご時世、金の掛かる事は一切しないだろうな。

ユダヤ的商法に:
「自分が提供したサービスの質と量=自分が受け取る報酬額。
サービスする(人に尽くす)ことに没頭すべし。」というのがあった。

用心、用心

仕事場の娘から緊急電話がかかってきた。
どうも我が家のあたりの上空にヘリコプターが5,6台飛んでいる。
何かあったに違いないから、ゲート、ドアー、窓など全部ロックして気を
つけなさいというものであった。
娘は特に神経質というか用心深いたちだ。

しかしこの世の中一体何が起こるかわからない。
早速全てのドアーを再チェックした。

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、
吠えたける獅子のように、食いつくすべきものを求めて歩き回って
いる。」 聖書

世界の頂点に立つ

日本の野球チームが世界の頂点に立った、本当に嬉しい。

ボクは数年前にアメリカ市民権を取得して、国籍は米国民だ。
しかも滞米生活の方がはるかに長い。

しかしボクの目はいつも日本に向いている。血は争えないものとつくづく
思う。
生まれ育った故郷は、意識しなくても体と深層意識に染み付いている。

オリンピックにしても、政治的なことにしても、世界的な事柄にはいつも、
「日本は・・・?」との意識が先に来る。

今回の世界一をかけた試合中、我が家で祈り会をしていた。
結果が気になって仕方なかった。ボクだけではなかったらしい。
祈り会が終わるや否や、インターネットで試合経過を見る。

試合終了には皆で歓声を上げる。
球場でも、日本でも、世界至る所で一斉に歓声が上がったに違いない。
日本国民が一つになった時だ。

ああ、これだけのことが天の栄光に繋がればどんなに素晴らしいことだろう
全ての国民が、天の国籍を持てれば・・・。

Tuesday, March 21, 2006

誰の体?

6ヶ月ぶりに医者に行った。去年の8月に頚動脈の手術をして以来である。

通常のルーティーンで血圧、体温、体重を測った。
血圧が166と90でとても高い。
とうとう医者から血圧を下げる薬を飲むようにといわれてしまった。
四方閉鎖された窓のない部屋で血圧を測ると高くなるものだと主張するも、
それにしても高すぎると一蹴された。

ボクの周りの連中は殆どこの薬を飲んでいる。これに関しては優越感に
浸っていたものだが、とうとう仲間入りしてしまった。

まあ、暫く様子を見てみようと思う。
60を過ぎると一寸したことが、死に至る病となると脅かされた。
予防の意味でも飲んだ方がよさそうだと観念した。

神様のためにもっと働きたいと思っている体。もっと労わり、大切に扱わな
くては申し訳ない。何しろ90まで現役で働きたいと願っているのだから。

61から神様に捧げた体なのだ。

Monday, March 20, 2006

fファッションってなんだ

3月中旬はまだ肌寒い日本であったが、女性のファッション性は気候とは
全く関係ないらしい。

毛皮の襟巻き、分厚い皮のジャンパー、しかし、ヘソ出しルックなのだ。
スースーと風が入ってきて冷えるだろうに・・・。

昔はお腹が冷えないようにと腹巻(野暮ったい話で申し訳ない)をしたもの
だが、実用性より見た目を気にする今のファッション、おじさんにはどうも
納得がいかないのだ。
いや、納得よりどうにもアンバランスのような気がするのだが・・・。

見ている方がなんだか寒イボが立ってくる。

ファッションってナンなのか、考えさせられる。

Sunday, March 19, 2006

ほのぼの食事

一週間ほど休みをいただいた。
野暮用で日本に行ってきた。
日本はまだ寒く風邪が流行っていた。

アメリカではあまり見かけないマスク着用は、最初一寸戸惑う。
帽子をかぶり、マフラーを付け、マスクをしていると、目だけがギョロ
ギョロと薄気味悪く思えた。
まだ寒さが残っていて、かく言う僕も毎日マフラーを欠かしたことがない。
電車の座席に暖房が効いて、ポカポカと暖かいのは何とも救われる。

ある郊外の駅前にあるうどん屋に入ったら、それが何とも美味いうどんで、
心まで温かくしてくれた。

ある家庭集会で出されたポットラックのご馳走は、皆さん玄人はだしで、
こころ込めて作ってくださった手料理、愛のレシピーが一杯で、胃の腑に
染みわたるものでありました。

友人と食べたり、大勢で食べる食事がまた格別にうまい。
日本では近頃、孤食というのが問題にされているようだけど。

  「平穏であって、ひとかたまりの乾いたパンのあるのは、
    争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」 箴言17:1

Wednesday, March 08, 2006

犬の本能

友人が3年ぶりにやってきた。
不思議な人物で、飄々としているかと思えば、思慮深く、直感的かと
思えば、理論的な思考をする。
自己主張しないのに、妙に説得力がある。

誰もが話しかけたいらしく、話を聞いてもらいたいらしく、牧師の
ボクを差し置いてみんな彼のところに相談に行く、祈ってもらいにゆく。

うちの犬までも妙に親しげに彼の隣に心地良さそうに座る。
彼からかもし出される何とも言えない、人間味に犬までもが反応する。

一人こわいおばさんがいる。彼女のところには、幾ら優しい声で呼んでも
逃げてゆく。
なんと対照的なことだろう。

「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、
主は心を見る。」と聖書にある。

犬も直感的に人の心を読み取るのだろうな。

Tuesday, March 07, 2006

こども・コドモ

週に3度子供たちが家に来る。
大人たちの集会に付き合わされる形で来るから、面白いはずがない。
お母さんたちは真剣にバイブルのお勉強。
コーヒータイム、お食事タイム、お喋りタイムが続くから、割合に楽しい。

子供達はそれでも大人しく別の部屋で待っているが、集会が終わるや否や、
暴れだす、走り回る、奇声を上げる、喧嘩をしだす。
子供たちがハイ・テンションになると、冷静さを失うらしく、何をするか
分からない。

カベに落書きをされる、カーペット(ベージュ色)にペンで何やら書かれる、
男の子は便座を上げないでおしっこをして便座を濡らす。

子供は白を切ることにかけては天才的。
結局誰に聞いても、誰がやったか犯人はわからない。

子供たちがもっと自由に遊べる部屋が欲しい。
ここに来るのが楽しみになるようにと切に思う。

「知恵ある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる。」
(ソロモンの箴言10:1)

Friday, March 03, 2006

「宣教への思い」

韓国で脱北者のために働いているM宣教師の話を聞く機会を得た。話には
聞いていたが、壮絶なその働きに息をのむ思いであった。 60歳を超えた
アメリカ在住の韓国系牧師が、自らは川に溺れ死にながらも、脱北者たち
の命を助けた。
折角助けられたにもかかわらず、中国で奴隷のような生活を強いられ、
それでもご飯が食べられるからと、その生活を忍従している。女性は年令
関係なく、ほとんどが人身売買の対象になっている。
私も一度写真を見たことがあるが、飢餓のために栄養失調で背が伸びず、
大人なのに子供のような身長しかない。
北から逃げてきても、決して彼らが描いてきたような夢のような社会では
なかった現実に溶け込めずに苦しみ、殺傷事件を起こす。
テレビで見たあの衝撃的な映像・・・中国の日本領事館に逃げ込んだ一家が
中国兵によって引き戻されたあの事件は世界中に知れることとなり、中国も
止む無く彼らを解放した。
一度は助けられた事を喜び、神学校に行って苦しんでいる同胞に福音を延
べ伝えると決心したにもかかわらず、いつの間にか堕落して信仰さえ捨てて
しまう。

膨大なお金と命をかけて援助しても、決して感謝されることなく報いの小さな
その働きに、時には何のためにこんな仕事をしているのだろうかと、フト思う
こともあるそうだ。

しかし今なお、飢餓と圧政に苦しむ無実な人々が大勢いるという事実と、
迫り来るイエスの愛に押し出されてこの仕事に従事しておられる大勢の方
たちがいる。

宣教への思いが熱く湧き出てくる。

アメリカや日本にいて例え財政的に苦しい生活をしている我々も、彼らの
比ではなく、加えて私達には自由があり、この自由の重みは何にも代え難い
ものである事をもう一度認識したい。
イエスは私達のために身代わりとなって死んで下さり、それにより、永遠の命
を与えられ、真の解放を与えられたのだ。
なんという神の恩寵、なんと幸いなことだろうか。

どんな小さなことでも、宣教の働きに参与させていただこう。

『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟
たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』 
(マタイ25:40)

Wednesday, March 01, 2006

友を思う

娘の友人に6ポンド6オンスの可愛い男の子が与えられた。
昨夜の7時ごろだ。
結局、娘も病院に18時間付き合ったことになる。
我がことのように喜び、生まれてすぐに電話をかけてきてくれた。

その友達の結婚式のときには、招待状の送付、引き出物の買い物、
用意など全てやってあげた。
友人を大切にすることはこの世の宝を得たようなものだ。

「 友はいずれの時にも愛する」と聖書の箴言に書いてある。
本当の友は、どんな時にも愛し合うということ。

娘が友人を大切にし、愛している姿は何とも麗しく、誇りにさえ思う。
ベイビーが生まれたことも嬉しいが、娘の友を思う気持ちも嬉しい。