Thursday, January 08, 2009

お茶様の風格

今日もお茶の話で面目ありませんが、改めて今朝もお茶の良さと言うか、
その効用をつくづく感心したのです。
もちろんほかの飲み物にだってその良いところは沢山あって、ボクのは飽く
までも自分の好みを言っているに過ぎないのです。そこのところをよーく
ご理解いただかないと、反発が大波のように押し寄せてくるは必定。

今朝はなんだかそれでも嫌にコーヒーが飲みたくなったのです。
なぜかと言うことが分かりました。すぐにピンと来ました。
今日は朝からミーティングがあったのです。そのミーティングに行く前から
コーヒーを飲みたくなったのは、実は飲み物そのものに環境と言うか、状況
に順応する作用があったのです。これは大発見でした。
コーヒーと日本茶の違いは言うなれば、「動」と「静」です。
方や能動的であり、方や受身と言うか受動態なのです。
現に、「ミーティング」と思った途端に「コーヒー」と反射的に来たではない
ですか。不思議ですね。現代のミーティングに日本茶は合わないのでありま
す。日本茶をすすりながら、株の動向を議論し合ったり、売り上げの修正問
題を検討し合ったりは似合わないのです。何かテンポをはぐらかされる様で、
リズムが合わないのです。
お茶を飲みながらというのは、昔の話であって、今の時代ミーティングは
コーヒーなのです。
忙しく頭の中をグルグル回しながら、口角泡を飛ばして喧々諤々するのに
は、紙コップに入れたコーヒーなのです。そこには動きが常にあるのです。
ミーティングで不愉快なことがあれば、部屋を出るとき、出口にある
トラッシュ缶に紙コップを片手で思い切り握りつぶして、コンチクショーと
投げつければよい様になっているのです。湯飲みはそうは行きません。

日本茶は陶器の湯飲みに入れ、静かなところで一人、庭があれば庭を見な
がら、それも雨後のしっとりと濡れた石や花、木々を眺めながら、お茶を
すするのが良いのです。
ゆっくりと思考回路を巡らし、まるで大河が流れるような感じで、否、
流れが止まっているかのような状態の中で瞑想をしながら、飲むのに
ふさわしいのです。
威厳があって、何か近寄りがたい風格があって、それでいて体には染み渡る
ような恍惚感は、紙コップのコーヒーでは到底できる業ではありません。

真剣なビジネスミーティングに日本茶を出されると(それも紙コップに)
お茶を濁したくなるような、茶々を入れたくなるような気分になるのは私
だけだろうか。それこそ大切なミーティングが茶番劇になりかねない。

お茶を飲むときには、場所と環境と湯飲みを選ぼう。
これは大切なことです。そうでないと、お茶様どころかコーヒーさんさえ
気を悪くなさるかもしれません。
お茶の話はもうこれ位にしておきます。
お茶は話すものでなく、味わうものです。
どうも、おチャまいたしました。


それではお茶を一杯いただきましょうか。

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