Friday, June 30, 2006

老年期障害

老年期障害じゃないかと言われるくらい、毎日毎日からだがだるい。
ちょっと動くとすぐに息切れがする。目がしょぼしょぼする。
足がだるく、立ったり座ったりするとかならず、「よいしょ、どっこらしょ」
が自然と出る。腰も曲がりかけたのではないかと思うほど、背筋が伸びない。
頭もひげも白くなった。歯は抜ける。耳が遠くなる。足に力が入らない。
忘れっぽくなる。気短にもなってきた。愚痴が出る。心が曲がってきた。

もう完全に老人だ。

もう社会で使いものにならないか。
とんでもない!!

知恵がある。分別力は俄然若いものには負けない。常識も良識も備わって
いる。経験があるから、物事が早い。コネもあるから電話一本ですぐに話
がまとまる。

体力には自信はないが、精神力と霊力ならまだまだ。油絵も素晴らしいが、
墨絵の美しさがわかる。チューリップより盆栽の美しさが分かる。

年を取ることは素晴らしいことだ。
体は衰えても、光り輝いて生きたい。

Saturday, June 24, 2006

この人、牧師さん

「この人、牧師さんです。」と時々紹介される。
こういう紹介をされる時は、大体が教会とか、教会仲間とかと全く関係のな
い場所でである。
この間は医者のオフィスであった。受付、看護士、助手などに紹介される。
ビジネスのオフィスでも紹介された事があった。そこの社長と話し込んでい
るとき、通る従業員全員に、「この人、牧師さん。」と紹介される。
大体その人達の心の中では、「この人そんな風には見えないけど」とか、自
分 は教会には行っていないけど、自分は全く利害関係のないこんな人とも
付き合っているのだという守備範囲の広さを見せたり、と言ったこともある
のだろう。彼らにとっては全く異質の関係にあるのかも知れない。

ボクにとっても同じ事が言える。
教会にいると、信者さんばかりと付き合っているわけだから、全く関係のな
い外部の人達との会話はとても楽しくためになる。
情報を得たり、考え方の相違を経験したり、非常に有益なのだ。

「この人、牧師さん」と紹介されるたびに、何だか誰とでも親しくなれるよう
な思いになるから不思議だ。
敬遠されているかもしれないけど・・・。

Friday, June 16, 2006

基本

何千万、何億円と言う報酬を貰うプロの選手も、基本中の基本を忘れたら、
ただの人。彼らにも基本を忘れる事があるらしい。
貧打にあえいだ阪神打線に岡田監督が言い続けた言葉、「ストレートを打て
ばいいだけのことなのに」と指揮官はぼやいた。難しい球を狙わず直球を待っ
て、来たら積極的に打つ。「ずっと言い続けてきたことが、やっと(形に)な
った」

幾ら言ってもそれが出来ないときがあるらしい。基本を形に表すと言うのは、
理屈では形にならないものだ。繰り返し繰り返し、何度も何度も、練習を積み
重ね体が自然に覚えてくれないことにはどうにもならない。

素人がちょっと出来るからといって、基本を飛ばして形だけ整えても、すぐに
化けの皮が剥がされてしまう。

何事においても基本が大切。繰り返し、繰り返し、練習をする、訓練を重ねる。
コツコツコツコツコツコツ・・・・勝つコツ、と誰かが教えてくださった。

すぐに即席が求められるこの頃、この体が覚えるくらい何度も何度も繰り返す。

人生の基本は何か!!
忠実に守ってゆきたい。

Thursday, June 15, 2006

実力の差ってなんだ?

まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
普段は実力があるのに、誰か威圧感を覚える人の前に出ると、まるで借りて
きた猫のようにおとなしくなって、だらしがない。

阪神と楽天の試合はまさにそんな感じがする。
あの歯に衣着せぬものの言い方と、人を滅多にほめない野村監督は以前
阪神タイガースの監督だった。在籍した3年間は常に最下位でふがいのない
姿をさらした選手は殆ど残っている。
まるで相手のベンチから睨まれているような様子がうかがえる。

逆転負け、一点差の勝ち、なんて情けない。
本来ならパ・リーグの最下位で、去年80敗もした相手はまさにカモ以外
何者でもない、ぼろ糞に勝ってもおかしくない相手なのに、全く萎縮状態。

それにしても今年の楽天は少し見ごたえがある。楽しみでもある。
まぁ、阪神タイガースの優勝は固いのだから、こんなことでカッカすること
もないかもしれない。先はまだ長い。
何事も長期的展望で物事みなければなるまい。
まいにち、一喜一憂するのも人生か。

「穏やかな心は肉体を生かし、激情は骨を腐らせる。」聖書

Tuesday, June 13, 2006

チャレンジ

毎週のセルグループ・ミーティングが3つある。
それぞれリーダーが立てられている。牧師は原則的にそこに加わらない。
しかし何時の間にか加わり、なんとリーダーがいなくなった後、リードを
している自分を見て、ガックリと来る。
誰かが抜けるとすぐに牧師がしゃしゃり出る。発展がない。

思い切って初めての経験の人に頼んでみた。ところがその人は思い切った事
をやってのける。ほんのひと月前に洗礼を受けたばかりの人に集会の締めく
くりの祈りを指名した。牧師にはとても真似の出来ないこと。
人の前で祈りをする事を極力避けたがる人がいるのを知っているので、牧師
がついやってしまうか、経験のある人に頼んでしまう。

新らしいことをしてゆくときには、思い切りが必要。しがらみや遠慮がある
と今迄でいいや、と言う事になる。
今、私達の周りでも改革が言われている。改革には未知のものがある。
未知には恐れや不安がある。どうしても否定的なものが先行してゆくから、
踏み込んで実行できない。

何でも思い切ってやらなきゃ、新しいものが生まれてこない。
既存のものを打破してゆく事が出来ない。
人生、時には思い切りが大切だ。

Friday, June 09, 2006

本質を見る習性を身につける

ボクはどちらかと言えば古いタイプの人間らしい。
斬新的なものにはナカナカ付いて行けない所がある。
ボクの好きな音楽にしてもそうだ。下の息子がラップ・ミュージックをやっ
ていたとき、あんなものは音楽じゃないと、よく馬鹿にしていた。
ところがボクの考えが変わったのは、そのラップが教会で使われた時から
だった。
なぜ変わったかというと、ゴスペルラップをやっている若者の印象がとても
爽やかで、根がすごく真面目で真剣に生きている様子だったのが、ラップを
素直に受け容れるきっかけになった。

ラップをやりながら伝えているものは、スーツにタイ姿で、聖書を片手に
話している牧師と全く変わらないのだ。
何が違うのか。スタイルが違うだけのことなのだ。本質は全く変わらない。
ただ多くの伝統ある教会やその背景を持った人間にはそのスタイルが受け容
れられないでいる。
我々大人はその本質を見失うと、時代についてゆけないし、工夫する事に努
力しなくなる。これが物事の硬直化と形骸化に陥ってゆく。

外見も大切かもしれないが、中身はもっと大切だ。
神は人の心を見られる。

Wednesday, June 07, 2006

栄枯盛衰は世の習い?

時代の寵児と言われた人も、まるでにわか雨の様に、消えてしまう今の時代
を目の当たりに見せられ、何だかやるせない気持ちになる。
自分の思い通りになると、落とし穴にも気がつかなくなるのだろう。
そこには「慢心」と言う恐ろしいものが常に潜んでいる。
人ごとではない、ボク自身の周りにも厳然として存在しているのだ。

アメージング・グレース(驚くばかりの)と言う歌の中に、
「危険をも、罠をも、避け得たるは、恵みのみわざと言うほかなし」という
のがある。
どれほどボク達は守られているか、神の恵みがどれほど大きいか、計り知れ
ない、自分からその枠を飛び出さない限りは。

うまく行けば全て自分の功績、失敗すれば人の性にしてゆくようなこころを
ボクだって何処かに持っている。口に出さないだけで、自己弁護と自己正当
化は常にフッとごく自然に出てくる。
高慢にならず、自制心を持ちながら、謙遜に生きて行きたいと言う願いが、
どこまで実践して行けるのか自信がない。

「高ぶりはただ争いを生じる、勧告をきく者は知恵がある。
急いで得た富は減る、少しずつ蓄える者はそれを増すことができる。」

最近日本でも話題になった時代の寵児といわれる人たちの失敗も、まだまだ
彼らは若いのだから、この失敗は将来きっと役に立つ・・・と信じているし、
役立たせて欲しいと願う。
そして人の益になる仕事をして欲しい。

Monday, June 05, 2006

優先順位

もう10日間ブログを書いていない。
何か気持ちが落ち着かず、心の筋肉が弛んで、調律の聞いていない弦楽器
の感じだ。
切羽詰ってやらなければならないことはしても、最小限に留まっている。
それで10日も休んでしまった。
毎日覗いてくださっている方のある事を思うと、申し訳ないと思うのだが、
どうも筆が進まない。このまま放っておくともっと悪くなるような気がして
恐ろしくなってきた。

なぜこうなっているのか前々から薄々気がついている。
それは霊的食欲不振に陥って事に原因している。
毎日、それほど大切でない事に追われていて、一番肝心なこころを静寂にし
て静まると言う事をキッチリしていないことだ。
これをしないで一体どこから力が来るというのか。
聖書に「静まって、わたしこそ神であることを知れ。・・・万軍の主は
われらと共におられる、・・・神はわれらの避け所である。」とある。
この言葉の前に「戦いをやめよ」という言葉があって上の言葉に引き継がれ
ている。
労ばかりが多い仕事(戦い)、無駄な事に費やす時間(戦い)、忙しさに振回
されて一番しなければいけないことに手を抜いている。

優先順位をもう一度確認しなければならないと切実に思っている。