Monday, July 31, 2006

感心した

アメリカって面白い国だ。
今朝空港に行ったら、フライトがキャンセル。
国際線に乗り継ぎなのに、そりゃ困る。
2便前に2席だけ空いているのにやっと席が取れたが、出発まで後50分し
かない。

ところがセキュリティーのところで列が動かない。どうしたのか聞きに行く。
沢山の人が聞きに行く。皆イライラしているのに声を張り上げて怒鳴って
文句言っている人が誰もいない。
空港係員が立っているのだが、誰も何も説明しないし、誰も又聞かない。
かえって係員の方が横柄な態度で客に怒鳴っている。
「同じ質問をするな!!」だって。いろいろ違う人が尋ねて来ているのに。
もっとも警官がウロウロしていたし、外には救急車と消防車が止まっていた
ので何かあったとは想像して入るものの、それにしても客の大人しいこと、
係員の威張り腐っていること。日本だと立場が逆なのに。

警官にしても、係員にしても、「指示に従え!!」と言った権威を持っている。
まぁ、客が怒鳴ったところで、事態が好転する訳でもないし、そこんとこ
皆さん分かってらっしゃるような顔してた。
アメリカ人って大人なんだなぁ、と感心した。

Thursday, July 27, 2006

徳のある人物像

暑い部屋にお泊めしたのは、ある高名な日本人牧師ご夫妻。
彼らは、特にご主人は日本全国は勿論、北米、南米、ヨーロッパ、中国と
それこそ世界中を伝道して回っておられる先生。
どこに行っても歓迎され、温かく迎えられ、お世話され、相当の歓待を
受けておられるはず。

ところが、受けるのは当たり前といった態度は微塵もない。
少しも尊大なところがない。偉ぶった所がなく、親しげで親密感に溢れ、
どんな小さなことにも感謝される。それどころか喜んで人のお世話をなさる。

苦労して走り回って扇風機を買ってきた事をお知りになり、いたく感動され、
10倍もの感謝を受けた。
偉い人は柔和で謙遜さのある人だ。小さなことにさえ感謝され、どんな小さ
なことでも人を褒める術を心得ておられる。
だから尊敬もされ愛される。

ボクの生きたお手本である先生だ。

感動の扇風機

どこに行ってもこの暑さのため扇風機が売り切れていて在庫がない!!
大きな店を4,5件回っただろうか。どこにもない。
去年一夏で売った扇風機が今年は1週間で売れたとか。

お客が泊まられるのでどうしても必要。暑い部屋にお泊めするわけには行か
ない。
家族だけだと窓を開け部屋のドアを開け放して寝るのだが、お客様だとそう
は行かない。何とか手に入らないか。
ふと思いついたのが、日本の小さな店だ。
あった、あった、ありましたよ。
手に入れたときの喜び。汗だくだったけど、汗も吹っ飛びましたよ。
あまり嬉しくて。

扇風機一台買ってこんなに感動したことなかったなぁ、

Monday, July 24, 2006

ターザンも逃げ出す暑さ

何でこんなに暑いのだ!!
カリフォルニアではちょっと異常ではないか。
窓を開け放しておくと、涼しい風が入ってくるときもある。
ところがボクの書斎は、ガレージ内に作られた2畳間くらいの汚い部屋で、
窓もないので、風通しは全くなく、なぜか埃だけは溜まる。

ボクは一日のうち5,6時間はこの蒸し風呂状態の部屋にいる。
たぶんターザンが入ってきても逃げ出したくなるような、暑さだろう。
この暑い中で、ボクの説教が出来る。さぞ、熱血漢の思い溢れる説教ができ
ると思いたいが、聞いていて寒々としたものにならないだろうかといつも心
配している。
暑い部屋、寒い説教、これでバランスの取れた部屋なのかもしれない。

Sunday, July 23, 2006

ミスが多い

近頃ミスが多すぎる。
集中力がないのだろうか、注意力に欠け、散漫になったのだろう。
日にちを間違える、名前を間違えるのはしょっちゅうだ。
場所を教えるのにわざわざ地図を書いてあげたのはよいが、間違った通りを
平気で書く。
とにかくあれほどうるさく、ダブルチェック、トリプルチェックを言ってい
た仕事をしていた時代から7年も経つとすっかりこの体から緊張感が無くな
ってしまったようだ。

平和ボケなのだろうか。
ちょっと心配になってきたこの頃です。
もう一度せめて10年前に戻って、少しは緊張感を持つように努めようと決
意した次第です。

Saturday, July 22, 2006

愛国心

アーサー・ホーランドという日本語ベラベラ、しかも関西弁を喋る牧師が
いる。およそ牧師とは程遠い格好をした、バイク気違いのアンちゃんという
いでたち。
彼の名刺を貰った。ハーレーに格好よく乗った写真が載っている。
そこには[You are loved]と書かれている。君は愛されている。
誰に? 親や恋人ではない、神にだ。

愛される事によって愛という事をまず知る。愛されなければ愛がわからない。
自分をまず愛さなければ人を愛せない。
愛の対象は何も人だけではない、家族、学校、社会、職場、そして自分の国
を愛する。

ボクはアメリカに来て始めて日本人としての愛国心を持った。
アメリカに来て愛国心に目覚めた。
日本では愛国心という言葉に随分と神経質になっているようだ。
国家、国旗、何も戦争を連想するものでもなく、極端な思想に走ると言ったも
のでもない。
確かに忌まわしい戦争を体験したが、愛国心を持つのに何の不都合がある
のだろうか。
ただ単に自分の生まれ育った国を愛するのに、何を理屈つけなければなら
ないのかを疑問に思っている。

自分の国を愛せない者は他の国を愛せないし、他国、他国人に対して尊敬
の念を持つことも出来ないのではないか。

そんな事を考えながら、アーサー・ホーランドの講演を聞いていた。

Thursday, July 20, 2006

蟻の情報伝達

蟻の嗅覚は恐ろしい。
今朝コンピューターのあたりに蟻んこが群がっていた。
スワッ、何事!! と指で殺しまくった。
ナントすばやいこと、あんなに早くに走り回るのだろうか。
一体どこからやって来たのだ。ここはボクだけの部屋で蟻が来れるような
ところではないのに。
それに何に群がっているのか、何を求めてきたのか、暫く判らなかったが、
やっと原因がわかった。
昨夜、実はこっそりとトウモロコシの茹でたのを食べその残骸がゴミ箱に
残っていたのだ。
一晩にして蟻は臭いを嗅ぎつけゴミ箱一杯に群がっていた。

蟻の世界には偵察隊のようなものがいて、しょっちゅうパトロールしている。
獲物を見つけるや否や、仲間に逐次知らせる。
その情報交換伝達のすばやいこと、人間社会以上だ。

人間は色々な文明の利器を持っているが、蟻にはかなわない。
幾ら情報があっても、それを伝える者がいないと何にもならない。
伝えるという意志は、蟻は本能的にもっているが、人間は教わったり訓練さ
れなければ出来ない動物なのだ。
情報が情報にならないのである。

良きものはどんどんと伝えよう。自分ひとりのものにするな。

ナゾ

キュウリの苗をいただいたので、庭に箱型になった植木鉢に土も買ってきて
植えたら見事に根がつき成長してきた。
蔓が延びだしてきたので、家内が棒を立てた。ところが適当な棒がなかった
ので、木の枝を切って来たのを立てた。ところが蔓はその木に巻きつかない。
よくみるとその木の枝には棘がある。
棘のあるものには巻きつかないのだろうか、知らないので、蔓を手で巻きつ
かせるように這わせたところ、何だか蔓も葉も枯れてきたようだ。
せっかく小さなキュウリも出てきたのに、いつの間にかなくなっている。
植物の世界の謎だ。ボクにはわからない。
この世の中、解らない事だらけ。単なる無知と済ませればそれまでだが。

Wednesday, July 19, 2006

謙遜と柔和

日本から著名なバイオリニストとピアニストをお迎えしている。
お二人ともウィーンで学ばれ、その演奏技術は高度なものである。
しかし全く高ぶったところもなく、気さくな方達で、ご自分達の自己主張
もなさらず、柔和でフレキシビリティーに富んでおられる方達で好感の持
てるお人柄にすっかり惚れ込んでいる。

ある域に達した人たちというのは、それなりに人格が出来ているのだろう、
決して偉ぶらない、謙遜な人である。
柔和でへりくだった人、あまりお目にかかれない世の中、何かすがすがしい
気持ちにさせていただけた。感謝。

20年くらい前だったか、日本から有名な歌手をお迎えした事があった。
まるで天皇陛下気取りに辟易したのを思い出した。

「謙遜は栄誉に先立つ。」聖書

Tuesday, July 18, 2006

干物と喜び

干物が大好きなので、日本からのお土産に持ってきて貰うときがあるが、
何しろ日持ちのしない物ゆえ、持ってくるのに苦労される。
梱包をしっかりとして、中身より冷やすものの方に重量がある場合がある
ので、持ってきてくださる方に大変ご迷惑をおかけする。
そんな苦労をなさってでも私を喜ばすために持ってきてくださる。
ありがたいことだ。

人の喜ぶのを見て自分も喜ぶ。喜びは自分だけのものにするのでなく共有
するところに喜びの世界が拡大する。

よく人の悲しみは共有できるが、人の喜びには共有どころか嫉妬さえ覚える
と言われる。難しいところだが、確かにそうである場合が多い。
これほど殺伐とした世の中、それだけ喜びが少ないのが現状なのだろうし、
自分に喜びのない事に妬ましくさえ思うのだろう。

人のために喜んでする人は、人が喜んでいる顔を見ると自分が幸せになると
言われる。

どうせ送るならこんな人生送りたい。

今晩その干物を食べる。楽しみだ。

Sunday, July 16, 2006

怒り

近頃スポーツ界で“怒り”が猛爆している。
W杯ではジダンがマテラッツイに家族の事で暴言を吐かれたとかで、怒り
頭突きを食らわした。
日本の相撲界ではロシア出身の関取露鵬が千代大海と睨み合い、審判部
に注意され、頭に血が上り、風呂場のガラス戸を壊し、果ては記者を殴った。

私達の周りにも大なり小なり“怒り”が多発している。
真夏の暑さの性ではありまいに、どうしてこんなにも“怒り”が多いのだ
ろうか。
それも義憤ならまだしも、破壊的破滅的なものが多い。

子供の怒りの多いのが気になる。社会的に問題視されているが、元来子供
は素直で明るく、彼らの心は白いものなのだ。
その白い心に大人たちが寄ってたかって好き勝ってなものを書く。
問題にされるのは父親であ り、母親であるのではないか。
大人が子供を教育したり、訓練したり出来ないでいる事に問題があるのでは
ないか。

「愛と言う名の支配」と言う本があるそうだ。読んでいない。
子供のためと言いながら、実は親の子供に対する要求が度を過ぎている様
に見えるが、どうだろう。
親の虚栄のために勉強、受験、習い事ばかりを押し付け、心の糧を与えない
で、良い子になれと期待する。愛とは名ばかりで、親のエゴが露骨に出ている。

子供は切れているのだ。切れた子供が大人になって、子をしっかりと育てら
れない親となる。悪循環である。

   「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、
    彼らを育てなさい。」 (聖書)

無駄な抵抗

牧師になるとガウンと言うのが必要らしい。
ガウンと言うと、何とも権威の象徴をもろに誇示するようで抵抗がある。
ところが今まで結婚式が2回、お葬式(記念会)が3回あった。
普通このような時に牧師はガウンを着るし、礼拝の中でも聖餐式とか、洗礼
式、何かの祝福式などの時には着るものらしいが、結婚式のときに友人の
牧師にガウンを借りて着たぐらいで別に不自由はしない。

ところが今年の3月に柄にもなく博士号の学位を貰ってしまったものだから
どうしても着なさいと、ある尊敬する牧師がガウン購入のお金を下さった。
こうなれば持たない訳には行かないし、子供達もお金を出し合って買ってあ
げるからと、とうとう買う羽目になってしまった。

自分の牙城が一つ崩されたような気がしてならないが、これも必需品と諦め
る外ないか、と諦め心境。

無駄な抵抗はやめよ!!

Friday, July 14, 2006

修養会

先週は7月5日から3泊4日の修養会に行ってきた。
アメリカに来て2年目から(1965年)殆ど毎年出席している。
場所も変わってサンタバーバラの風光明媚、空気もよし、食事もよし、の
クリスチャン大学、ウエストモント大学の施設を使っての修養会。
多くのクリスチャン達が北から南から、東から西からやってきて一堂に会
する。子供からお年寄りまで賑やかな事である。
ボクが20代のころから今は60代も後半。よく続いた。人の人生を考える
と長い年月のように思える。

何を基準にして長いか短いかは、その事によって違うが、多くの聖徒達が
亡くなって行かれた事を考えると長い年月だ。しかし、聖書の言葉を語り
続けて来た事を考えるとすでにキリストの時代からは2000年が経ってい
る。

同じ真理を後世に伝えてきた。これからも伝え続ける。
多くの人が信じ、その人がともに集まって霊の饗宴をする修養会だ。
そこから遣わされてまた伝え続ける。
最後には天の御国に於いての饗宴。
最終目的が待ち遠しい。

Tuesday, July 04, 2006

独立記念日

「ねぇ~、日本にジュライ・フォースある?」
ひところ流行ったジョーク。
「エッ?」少々戸惑いながら、「ないでしょう??」

実はあるのですよ。だってジュライ・フォースというのは7月4日と言うこ
とで、暦の上では立派にちゃんと乗っているのです。世界中のカレンダーに
もジュライ・フォースはあるのですが、これはアメリカの独立記念日の別名
になっているので、真面目な方は「ないでしょう」とお答えになる。

どこに家の前庭にも小旗がたなびいている。アメリカ全国がこの日を祝う。
無料でこの小旗を置いて行ってくれる。アメリカって本当に愛国心の強い
国だとつくづく思い知らされる。

自分の家族を愛するように、生まれた国を愛する事は当然だと思う。
ボクは日本で生まれ、アメリカ市民権を持っているので、両方の国を愛して
いる。日本に対しても愛国心はずっと持ち続けている。
どこにいても日本の全ての事に気がかりだ。

野球で世界一になったら、アメリカが世界一になるより嬉しい。
サッカーのW杯をかけてのゲームも気になった。経済も政治も文化も教育も
勿論だが、何より日本の精神文化が一番気に掛かる。

ボク達の教会のニックネームが「オアシス教会」という。
人々が教会に来てくれて、魂の安らぎを得ていただければと、心の安らぎ教
会「オアシス」と呼んでいる。

オは「お願いします」 Please
アは「ありがとう」 Thank you
シは「失礼します」 Excuse me
スは「すみません」 I am sorry

こういう言葉がいつでも自然に出て来れば、平和が造り出せるだろうに。
この心を忘れずに互いに人に仕え合いながら、人を愛してゆくとき、自然と
自分の国も愛せ、他国をも愛せる様になるのではと思うのだが。

平和を造り出す人になって行きたい。

    「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と
     呼ばれるであろう。」(聖書)

Happy Independense Day !!

Saturday, July 01, 2006

共に働くとき

近頃あっさりした冷やしソバ等を好む様になってきた。
庭からもぎってくる新鮮なバジル、しその葉、ネギ、それに焼き海苔を冷や
したツユに入れてそばをすする。

食べながら面白い発見をした。
ネギだけ、バジルだけ、紫蘇だけを別々に個々に食べると苦くて食べられた
ものではないが、これを一緒に混ぜ合わせて食べると何とも言えない、口の
中がスカッと清冽で豊かな味わいが口一杯に広がる。
山の中のせせらぎに川床を作って、その上で食べたら最高だろうなぁ。

人の集まるところも同じような事が言える。
家庭でも、会社でも、教会でも、それぞれ違った者同士は個性が違うし、そ
の個性も充分に発揮されないが、一緒になって共に一つのプロジェクトなど
を協力してするとき、一人では醸し出すことのない素晴らしい作品が出来る。

個性は一人だと嫌味で強烈なものでも、一緒だと妙にその中に溶け込んで
実 に活き活きと生かされてくる。

「共に働くとき、益となって来る」(聖書の中に出てくる言葉)とは実に味わい
深い真理を、そばを食べながら学んだ夏のランチ時でした。