Monday, April 30, 2007

南国調は音が響く

最近気が付いたことだが、我が家を一歩、外に出てみてよく見ると(よく
見ないでもそうなのだが)、屋根瓦は南国調の赤い瓦で壁はシロだ。
サンディエゴに行く途中のサンクレメンテなどの家々をフリーウェイから見
て、何とも異国情緒豊かだ。みんな赤の瓦に白い壁。
しかし、家の中に入ってしまうと人の家の屋根しか見えないので、楽しみが
半減する。
家の中もシロ一色の壁、この家のつくりはどうなっているのかと思うほど、
話し声がよく響く。
ボクの部屋で電話をしていると階下のリビングルームまで丸聞こえ。
どこかの知事さんが言ったような、ガラス張りの生活で、隠し事が出来ない。
キッチンがボクの部屋の真下に当たるので、内容は分からないが、通風孔を
伝って、グヮングヮンと声が響いてくる。
夜になると周りがとても静かで、ピアノが弾けないでいる。
ここに移ってからまだ一度も声を張り上げて歌ったことがない。
ストレスが溜まりそうだ。
ただ、居心地はとても良いのでその分、助かっている。

感謝、感謝。

Friday, April 27, 2007

ウォーキートーキ

いよいよ下と2階でウォーキートーキーを始めた。
なかなか面白くて、用もないのに話しかける。
「エー、こちら2階、どうぞ」「何よ!! オーバー」てな調子。

電話のようにベラベラ、ダラダラ話せない。60秒以上話すと切断される。
用件のみを簡単明瞭に伝えるのが目的。
スウィッチを押すと話せ、指を離すと話すと相手が聞こえる。
だから喋るたびに、「オーバー」という。これは英語の「Over」、終了の意。
或いは「ロジャー」、「Rodger」了解ということ。

これは正にコミュニケーションの基本、ルールと言うか規範にすべき事かも
知れない。
こちらの話すべきことをちゃんと伝え、相手の話をちゃんと聞く。
それも回りくどくダラダラと言うのでなく、ポイントを正確に伝える。
実に明瞭そのもの。話が良く分かって良い。
ただ一寸会話に彩りのないのが気になるが・・・・。

当分これで家内に話し方の訓練してもらおうかと思う。
何しろ最初から全部話さないと気が済まないらしいから。
「それで、ポイントは何なんだ。何が一体言いたいのだ!!」
これで時々ぶっつかる。
このウォーキートーキー、思わぬ効果を発揮してくれるかも知れない。

Thursday, April 26, 2007

こころなきオークション

悲しいニュースを読んだ。
阪神タイガースの赤星選手が寄贈した車椅子がヤフーのインターネット
オークションに掛けられていたそうな。20万円から始められたオークション、
売られることなく、途中で引っ込められたそうだが、なんとも悲しく、侘し
い気持ちだ。
彼はシーズン中、盗塁数に応じて車椅子を病院や施設に寄贈する事に
なっていて、今まで204台分が体の不自由な人々に届けられた。
その車椅子が何の目的で誰がやったのか分からないが、人の気持ち、弱者
に対する配慮の気持ちのひとかけらもない、善意に対する反逆行為が公の
場で堂々と行われた。
何だか今の日本を象徴しているような気分だ。一寸言い過ぎたら御免なさい。

そういえば、お年寄りからお金を騙し取ったり、聾唖者や身障者からお金を
巻き上げたりする事件がはびこっている。
自分さえ良ければ、相手がどうなろうが、どんな相手であろうが、と言う
自己中心的なエゴのかたまりのような人間が、近頃多すぎやしないか。

イエス・キリストは「これらの最も小さな者にしたのは、すなわち、
私にしたのである。」といわれた。
小さな者とは、弱者や困っている人、病人、牢獄に入っている人達のこと。
慰めと助けを必要としている人達に、あなたはどれ程のことをしていますか、
私たちに問われている。
ましてや、そのような人達を食いものにするなど、到底人間として赦される
べきことではない。

「私にしたのである」と言う言葉は、神様ご自身にした行為であると言うの
です。弱者に私たちが関わる時、神とも関わっていると言うのです。
マザーテレサは「私は毎日キリストに二度お会いします。それは修道院の
ミサの時と、カルカッタの路上での瀕死の病人と会う時です」

Monday, April 23, 2007

思い込み

朝の早い家内のドクターアポイントメントから帰ると、たかちゃん(ボク
たちと8年一緒に暮らしている女性)が近所の見知らぬ女性と家の前で話し
ている。珍しいこともあるものだと思って、どうしたの? とたずねると、
たかちゃんボクたちの留守の間にゴミを外のガベージ缶に捨てに行ったつ
いでに周りを散歩したんだそうな。
ところが玄関のドアーをうっかりアンロックするのを忘れて家に入れなくな
って困った挙句、近所の家に飛び込んで助けを求めたらしい。

ドアーのロックは上下付いていて、下の方をアンロックするのを忘れたらし
い。以前の家で使っていたオートロックと反対のシステムになっていて、同
じと思い込んだらしい。

思い込みはとんだ結果を招きかねないものだ。

思い込みは多くの誤解も生み出す。
思い込みは争いのきっかけにもなりかねない。
思い込みは人間関係を険悪にする。
思い込みは大きな損失にもなり得る。

ダブルチェック(double check)、ダブルチェック。
トリプルチェック(triple check)はもっと良い。

Sunday, April 22, 2007

節約と時間と

日曜の午後、礼拝から帰ったらすぐに娘が尋ねてきてくれた。
娘も昨日引越しを終えたばかり。
何か必要なものが無いか、聞きに来てくれた。
優しい娘だ。いつも親のことを心配してくれている。頼りない親だと思われ
ているのかも知れない。
昨日ボクは電話機を見に行った。なかなか良いのが見付からずそのまま帰っ
てきた。娘に電話機、それもアンサリング、コールIDの入ったのを買って
きてくれるように頼んだ。ところが今日見に行くには行くが、買うのは2,
3週間待てと言う。なぜかと言うと、セールの時を待つのだそうだ。
そんなのすぐ買えばいいじゃないかと言うと、「男の人は皆そういう。今す
ぐ欲しがる。女性は違うのよ。安いのが出るまで待つの!!」と仰る。
しばらく不便を我慢しなければならないと言うわけだ。

そう言えば昔、娘が小学生の頃、家内が子供たちを連れてハンバーガーを
買いに行った時、娘が、「あっちの店のフレンチフライが安い」と言って
フレンチフライだけを違う店で買ったそうだ。そこまでやるか、と半ば呆れ
返り、半ば、娘恐るべしと思ったのを思い出した。

あれから大分腕を磨いたらしい。
だんだんと冴え渡っている。
ボクには到底付き合いきれない。
まぁ、もう娘の時代だから、と任せてはいるが・・・。

Saturday, April 21, 2007

割りこみ

今日は土曜日だが、朝から一日の予定がびっしりと詰まって、どうにも忙
しくなりそうだ。土曜日は朝の祈り会(7時)から始まるのが常であるが、今日
は一寸ゆっくりで8時半。ずいぶん楽だなぁ~と思いながら、ゆっくりと心
ゆくまで家内と二人でする。いつも来ておられる方が日本に里帰りだから、
横着を決め込んだと言うわけ。

娘の引越しがあるというので、家内が弁当を作り出す。これは予定に入って
いなかったので、ボクの朝食までもが、昼頃になってしまう。
訪問する先が留守で、次の予定先に廻るが、その時、娘からの電話で急遽
娘のところに弁当を届ける。兄貴と弟、ボーイフレンドと、友人後二人が
フーフー言いながら、トラックから荷物の運び出し。
ボク達はただじっと見ているだけしか、何も出来ない。邪魔になりそうな
ので早々に引き上げる。
コスコに買い物に行くが、体がかったるくて、パワーが無い。どうやら
そんなに朝食から時間がたっていないのに腹がすいてきたようなので、コス
コでホットドッグでも食べようかと並ぶが、3時だと言うのに、何だこの人
混みは!! おっそろしく列で待たされる。
前に並んでいる大分お年寄りの白人のご婦人が、隣の列が早いのでスイット
割り込む。すると後ろに並んでいた若い女性が、注意するが聞こえない(?)
振りを決め込んでおられる。でどうするかと思ったら、その娘さんわざわざ
おばあチャマの前に行き、顔を覗き込んで、後ろにラインで並んでいるので
すが、と注意をする。ボクだったら、まぁ婆ちゃんだからしゃーないか、と
諦めるが、この娘さんなかなかやる。おばあちゃんは首をすくめて、何か仰
る。よく聞こえていなかったが、「わたしゃ、年寄りで長い間たっておれない
のよ。」ぐらい言ったのかもしれない。しかしその娘さんキリっとした態度
を崩すことなく、いけないことはいけない、と言っているようだ。
最後にはそのお婆ちゃん照れ笑いしながら、ボクの前に割り込んできた、
いや、戻ってきたのかな。
多分そのおばあちゃんが若いお母さんだった頃には、自分の子供たちには
しっかりとした躾をしていたに違いない。
年を召してくるとだんだんと色々なところで箍(たが)が緩んでくるのかも
しれない。
ボクはまだその領域には入ってないぞ、と嫌に気張った午後でした。

Friday, April 20, 2007

最後まで諦めるな!!

毎朝、パチンとコンピューターのスウィッチを入れ、まず来ている数通の
メールを読み、すぐに返事を書く。すぐに返事を書かないと、忘れてしまう。
それからやおらプロ野球の結果を見る。
結果と言っても、阪神タイガースが勝ったかどうかだけで、他球団は全く
興味が無い。あると言えば、中日と巨人が負けると垂涎が下がるくらいだ。
(ファンの方ごめんなさい)。
阪神が勝つと「やったぁ~」と年甲斐も無く雄叫びを上げ、ガッツポーズ
をやっている。
他の球団の結果は目に入らない。ただひたすら阪神タイガースだけ。
何度も言っているように、特別アメリカのメジャーリーグでも日本のプロ
野球も好きというわけではないのだ。
ただ子供のころから応援している阪神タイガースだけに興味がある。
それだけの話。でも一喜一憂する。
小学生の頃、2,3度甲子園球場に行ったきり、プロ野球の試合は見ていな
いのだ。なのに、どうしてだろう。
ファンの心理ってそんなもんだろう。

昨日の試合は巨人戦で延長12回表に3点巨人が点を取る。
多分巨人軍所選手は監督を含めて みなさん勝利は我が物とほくそ笑
んでいただろうが、ところがその裏、なんと阪神が4点取っての勝利。
ガッツポーズは代打の狩野選手。皆の嬉しそうな顔、顔、顔。
(写真の入らないのは残念)

人生すべからくこんなもの。ボクは9回裏からの第二の人生と思っている。
或いは延長戦があるのかもしれない。
しかしそこにあるのは、「どんでん返しの人生だぁ~。」
最後まで諦めるな。
勝利の女神は最後まで耐える者に微笑む。
みなさん、がんばろうね。
(他球団のファンの皆さんも含めてです)

Thursday, April 19, 2007

「空の空」

今、「伝道の書」と言う聖書の箇所を学んでいる。
この箇所ので出しはなんとも虚無的な言葉で始まる。
「空の空、空の空、いっさいは空である。」
「空」は「そら」ではありません、「くう」、英語の聖書には[Vanity]。
この太陽の下には何も新しいものは無いと言う。
全てがすでにあったものの繰り返し、巡り巡ってまたもとのところに還る。
Lost generationの代表作家ヘミングウェイも小説『日はまた昇る』をここ
からテーマをとっている。
こんな虚無的な人生どこに意味があるのか。
人生なんて結局、流転しているだけだ、と思える節も無いではない。

虚無に服した世界の現実から、作者の意図がどこにあるのかを見るには、
「あとがき」を読めば、この書の書かれた動機や事情が打ち明けられていた
り、読み方のヒントがあったり、その書の目的、言わんとする所がズバリ
一言でまとめられていたりする。
結論から言うと、作者は「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間に
とって全てである。本分である」と言っている。
この作者自身が虚無的な現実の世界を描きながら、まことの神(羊飼い)が
与えてくださっている福音の世界に還ることを悟ったのである。
彼自身、迷える子羊として遍歴の果てに、この神に導かれ、神の言葉に癒さ
れ、培われていった姿が見られるのです。

今日のブログえらい難しいことになってしまった。
たまには善しとしよう。
ちょっと今朝、思い付くまま書いてみただけ。
(こんな難しいことを毎日考えている訳ではありませんから。)

Friday, April 13, 2007

別居生活?

引っ越してきてから不便なことが一つ。
私は2階の部屋で家内は階下。
いずれ家内が上に越してくるということでボクは上に陣取っている。
2階はマスターベッドルームで広く、夫婦のために作られてある。
家探しなどでずいぶん家内は足を痛め、2階に上がって来られない。
それで上と下とではちょっと声を出したのでは聞こえないので、家内がボク
に用事のあるときはボクのケータイに電話してくる。
そのうちにウォーキートーキーを買おうと思っているが、そのほかに何か簡
単で良い方法があれば教えてほしい。

ゲートの問題と言い、階上階下の問題と言い、コミュニケーションの手段で
こんなに悩むのかと思い悩んでいる。
コミュニケーションの内容ならともかく、その手段はまさに原始的な問題、
それをまず解決しなければならないとは。

いっそのことこれを機会に家内とはしばらく口を利かずに置こうかと、フト
思う時がある、内緒の話だが。

Thursday, April 12, 2007

本当に価値のあるものって

うっかりしていた!!
景徳鎮(中国の焼き物、窯場の名前)の小皿がない。
あれはわざわざ景徳鎮で買って来て貰ったものだ。

引越しのとき、家に遊びに来る子供たちや若い人達が荷造りを手伝ってくれ
たが、うっかりして除けて置かなかった。
今朝、もう一枚の小皿が、流しのところに無造作に置いてあった。
ボクは悲鳴をあげながら、「ギャー、これどうした」と家内に聞いたら、
「汚いので使い物にならないから、どうしようかと思っていた」とのたもう。
危うく捨てられるところであった。
もう一枚の方が良い奴だから、今必死に探している。

しかし、たかが小皿一枚、形相を変えるほどのことでもないはずだ。
人生にはもっと大切な物があることにいつも気をつけていなければ、一体何
に優先順位を置いているのか、真価が問われる。

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。
いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。
彼女からそれを取り上げてはいけません。」ルカ10:42

Wednesday, April 11, 2007

早く何とかして~

今日はちょっと寝すぎてしまった。
どうにも体の方が言うことを聞かない。首、腰、腕、足などがギスギスして
痛くて仕方ない。
荷物の片付けもほとんど済んだ安心感がどっと来たしわ寄せかもしれない。
今日と明日、前の家に行って最終的に塵を捨てる。これで終わり。

とにかく新しいところでは色々と勝手の違うことが起こるもの。
今一番頭を悩ませているのは、ゲートを開けること。
ここは53軒ほどの家のコミュニティーになっていて、入ってくるのにゲート
を開けないと入れない。
ところがいまだにその番号を貰っていないので、訪問客が来ると門の外から
ケータイで電話をいただき、門のところまで走って行きゲートオープナーで
開けると言う作業をやっている。
それがきつい。何しろゲートのところで待たせておくわけには行かないので、
オープナーを持って慌てて走ってゆく。ボクたちの住まいはゲートとは反対
側にあって一番遠い。

集会のある日など大変だ。
次から次に開けに行かねばならない。想像して見てくださいよ。
集会の始まるころには、もうハァーハァー、ぜいぜい、足はガクガクで息も
絶え絶え。
時には若い人に走って行って貰う事にしている。

それにしてもなんとのんびりしているのか、要領が悪いのか、今日でここに
引っ越してきてから1週間になるのに、まだゲート開けられないなんて、ど
うにかしている。
だんだんとイライラして来た。

「良い運動になって良いんじゃない?」家内はうれしそうに言う。
人の気も知らないで。人事だと思って無責任なことを仰る。

早く何とかしてくれぇ~。

Tuesday, April 10, 2007

パワフルなデバイス

何とか引越しも終わりの目途がついてきた。
今までの家は7年と3ヶ月住んだが、まぁ、なんと荷物の多いことか。
出て来る出てくる、幾らでも出てくる。
出てくるのは荷物だけではない。ゴミ、ごみ、塵、ごみの山だ。
問題はごみを捨てるところがないこと。荷物の置くところがないこと。
ボクたちの荷物だけではない。息子の分、娘の分、それに教会の分と、何と
友人のもあった。人の荷物預かってどうするのだ。

あ、ところで、充電器見付かった。よかったぁ~。
どうして見つけたか分かりますか。
ボクには秘密兵器があるのです。
それは祈りです。
そう、祈りを忘れていたのですよ、牧師のボクが。

電話の調子がとても悪かったので祈ったら、すぐ何ともなくなった。
充電器も祈りをするとすぐに見付かった。
コンピューターに問題が出て、e-mailとウェブサイトが通じなくなったので、
パニック状態になったときも、祈って試してみたら、ちょっと時間掛かった
が、正常に作動するようになった。

祈りはパワフルなツールだ。

聖書に
イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、
あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、
『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、
ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、
そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、
すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」
マルコ11章23、24

Monday, April 09, 2007

エネルギー消耗の元

ただでさえいつも探し物をしているのに、引越し騒ぎで混乱している。
どうも記憶力と言うのだろうか、能力なのだろうか、自信がなくなってきた。
ケータイ電話の充電するものがなくなって困っている。
確かにこれは必要なのだからと思って、特別に横にとっておいたのだ。
その「横」がどこなのか思い出せないで、やたら滅多探し回っている。
この無駄な労力と言ったら、並大抵のものではない。
物凄いエネルギーの消耗だ。
それにストレスがどんどんと溜まってくる。
他のことに手がつかない。
気持ちに落ち着きがなくなって、物事に集中できない。
イライラして来て、つい家内にも乱暴な口を利いてしまう。
食欲もなくなってくる。
何を聞いても上の空。
買い物に行ったら、お金の勘定を間違ってしまう。
どこに食べに行こうか、なかなか決められない。
メニューを見てもすぐに何を食べたいか決まらないでグズグズしている。
チップの計算を間違える。

全く良いことなし。

早く出てこい、充電器。

Sunday, April 08, 2007

イエスは死からよみがえられた

ハッピー・イースター!!
イエス・キリストが死に打ち勝ち、復活された。
死はもはや終わりではない。
死はほんの一過程に過ぎない。
最後の敵である死は滅ぼされた。
永遠の世界に生きる者への勝利の日です。

ハレルヤ、心からイエス・キリストの復活をお祝いします。
He Is Risen!!


「聖なる霊によれば、死人からの復活により、
御力をもって神の御子と定められた。
これがわたしたちの主イエス・キリストである。」
ローマ1:4

and declared to be the Son of God
with power according to the Spirit of holiness,
by the resurrection from the dead.

Saturday, April 07, 2007

忙中閑あり

今日は朝早くから友人の息子の結婚式に行って来た。
場所はこの家からだと約2時間はかかるLa Costa Resort & Spa。
マスターズのゴルフ・トーナメントもやる名門ゴルフコースだ。
明日はイースターだし、まだ引越しが終わっていないのにと、ブーブー家内
に言いながら、それでも引越しばかりやっていたので、気晴らしに丁度よい
と、口とは裏腹にいそいそと出かけた。
さすが名門コースだけあって、素晴らしいところだ。
中に入っても色々な施設があって、どこに行ったらよいのか分からないが、
道を聞きつつ会場にたどり着く。
まだほとんど誰も来ていない時間に着いたが、何人かの人が来ていた。
ところがである、「ヘイ、エディー、(エディーというのはボクの英語ニック
ネーム)どうしてドレスアップしてんだ?」「エッ?」
「今日は皆ハワイアン・スタイルだって案内に書いてあっただろう。」
そういえば後から来る人も皆アロハスタイルだ。結局、ドレスアップしてき
たのは、日本から来られた親戚の人達とボクだけ。
ドレスアップして結婚式に来たのに、なんか場違いなところに来てしまった
感じだ。
300人もの人達で豪勢な結婚式だった。料理もまあまあ良い。
友人にも久しぶり会えた。
何よりも、新婚カップルがファーストダンスをしている時、何故か目頭が
あつくなったことが意外だった。
多分娘が嫁ぐときのことを、フト思ったからだろうか。

Wednesday, April 04, 2007

元気も体力もない

今回の引越しで、いかに体力がないか思い知らされた。
そんなに重いものを運んだ覚えはない。
それにボクのvanに入る量なんてたかが知れている。
それなのにすぐに疲れる。足が言うことを利かなくなる。
手が痺れて来る。腰から大腿骨にかけて重~くなる。
そうなると息切れがしてくる。
新しい家では2階がボクの部屋だが、荷物を持って上がれない。

息子などはボクの4,5倍は早く沢山運ぶ(仕事を3日も休んで来てくれた)。
ボクより少し若い牧師先生が2人もお手伝いに来て下さったが、やはり体力
はボクなどより数倍ある。

今日はUホールでトラックを借り、机やベッドなど比較的重いものを運び
出す。5,6人の男性が来てくださることになっている。
こうなったらもうボクの出番ではない。
残っている細かなものをチョロチョロ運ぶしかない。

教会員の方々も手伝いに駆けつけてくれた。ずいぶんと助かった。
明日は運送屋さんが来てくれて、ピアノやオルガン冷蔵庫を運び出してく
れる。教会員の方のご好意によるものだ。
こんなに大勢の善意の人達が僕達の周りにいる。なんと感謝なことだろう。
ボクの人生素晴らしい!!

Tuesday, April 03, 2007

引越し

引越しは大変な作業だ。
今回は娘に負うところが多い。
要領を教えてくれた。
段ボール箱には全部色分けのテープを張り、どの箱がどの部屋に行くのか、
一目瞭然となるように目印をつける。
新しい家のほうにも、もといた方にも、色分けした一覧表を作りどの部屋に
収めるのかすぐ分かるようにしてある。
新しいほうの家には、部屋には全部紙が張ってあり、誰々の部屋と色つき
テープ。
矢印で上に上がる、右に左にとしてあるので、いちいち誰かが指示しなくて
も良い。
電話、ガス、電気、水道、ゴミ、新聞、郵便局への住所変更、全部娘がやっ
てくれた。
子供たちがまだ小さいときの引越しには全部親父の役目だった。
子供が生まれてから6回目の引越し、結婚してからは7回目、独身時代を
含めると20回は優にしている。
独身時代は簡単であったが、だんだんと大変になってくる。
大変だったときは子供たちが3人一緒にいたとき、そして今回。
今回何が大変かと言えば、ボクの体力と要領の悪さ。
もう親父の出る幕はなくなった。ただオロオロするばかり。
嫌だなぁー、もうボクの手の届く範囲のことしかすることない。
今日も見渡したら、片付いていないのはボクの部屋だけとなった。

何か取り残されているようで、楽は楽だがチョッピリ寂しい感がある。

Monday, April 02, 2007

誰のために福音を語る

先回の続きになりますが、教会にスピーカーをお招きする場合、先ずこちら
の意図があってお招きします。スピーカーはお招きする側の意図を尊重して
それを承諾の上、招きに応じるわけです。それ位の打ち合わせは事前にする
べきです。子供じゃあるまいし、行き当たりばったりだとすれば、文句は言
わないことです。事前の打ち合わせを遥かに越えた非常識なものがあれば、
その旨はっきりと申し上げるべきだ。特にお体に差し障りのある場合には。
後で文句を他の人に言うなど、もっての外だと言わざるを得ない。伝道者に
あるまじき言動だ。

アメリカ或いは外国にある日本人教会では、祖国日本の福音化のために日夜
祈っている。日本では無牧の教会が増えていると悲しいニュースを聞く。
悲しい悲惨な事件が日常茶飯事のように起こっている。
人々の心は荒れすさんでいる。心が傷つき、病んでいる人達の何と多いこと
だろうか。
それなのに、「あんな教会もう行くものか」とどうしてそんなことが言える
のだろうか。
お招きした教会より、お偉い先生方の良識の方を疑いたくなる。
確かに、お迎えする教会の態度も気に食わないこともあるだろうが、一体、
伝道者たる者は「誰のために」やっているのかと、問いたい。

日本の有名なテレビ伝道者も一度、迎える側の態度のことをいっておられた
ことを思い出したが、そんなことを公の場で口にすべきことではないこと位、
お分かりにならないことが情けない。
どんな人もお偉くなると、知らず知らずのうちに初心から少しずれて来るの
ではないだろうか。

柔和、謙遜、「させていただいている」と言う態度、をいつまでも忘れたく
ないものだ。

『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの
兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、
わたしにしたのです。』 マタイ25:40