Friday, June 29, 2007

政治家か牧師か

今朝日本語のニュースをみて驚いたことがあるが、国会って夜中も休みなく
やっているんだね。
ひとつの法案が可決された時間が、午前1時だって。
それからまだ法案があるので、終了するのは、明け方。
国会議員って重労働なんだねと、改めて見せられ、本当にご苦労様と言いた
い。それに日常の会議や地方からの陳情、もうひっきりなしに激務が伴って
来る仕事らしい。何時寝るのだろうか。
それだけじゃない、チョット口を滑らすと国民や対抗政党、そしてメディヤ
から総攻撃を受ける。外国からも非難を浴びる。
激務に耐える強靭な体と、どんな事にもへこたれない強い意志、厚かましさ、
居直りが要求される職業だ。
政治家なんかなりたくないと思っているが、なりたくて仕方のない人も沢山
いることは確か。
名誉と権力は人間最後まで持ちたい欲望のようだ。
だからあんなに頑張れるのかな。

牧師には何の名誉も権力もないどころか、礼拝や集会を黙って休まれると、
胸がキューンと痛くなる。心配で夜も眠れない。
牧師に「燃え尽き症候群」は良くあるが、政治家には聞いた事がない。
「仕える」と言う言葉は政治家も牧師も同じ。
ただ実行しているのは牧師だけだ。

牧師は割に合わない? とんでもない!! 
嘘をつかなくてもよいから開放感で満たされている。
栄光は主のもの、恥はわがものとして生きることが出来る。
やられても、やり返すことをしなくても良いから気持ちが楽だ。
ストレスや悩みがあっても最終的に癒してくださる絶対的な力に頼ることが
出来ることが何よりもの慰め。
金はなくても豊かだ。
「赦さん!!」と言わなくてもよい程、赦されている恵みに浸されていること
の幸いを享受している。

我が家系には政治家が多いのに、やっぱり政治家にならなくて(なれなくて)
良かったと心から思っている。

Thursday, June 28, 2007

日頃の注意力

「ダディー、ガスがつかない」と家内。
色々試してみたが、ガスの匂いさえしない。
完全に切られた状態。こりゃ大変、夕食支度の真っ最中。
そういえば引っ越してから一度も請求書来てないことに気付く。
旧住所でガスは切ったが、新しい所では申し込んでいなかったのだ。
それにしても2ヶ月以上、よく点いていたなぁ。

とりあえず、何か代わりになるものと捜すと、電気コンロが出てきた。
ためしにつけると見事ついてくれた。とにかく間に合わす。
もっと捜すと、卓上ガスコンロが出てきた。

ガス会社に電話する。月曜に来てくれる、でも今日は水曜日。
シャワー、風呂が使えない。土曜に日本から大切なお客様が来られる。
何とかしてくれと泣きつく。やっと金曜に来てくれると言う。
ヤレヤレだが、3日間シャワーが取れない。
それでも感謝、何事も感謝。
何とか生活できる。

それにしてもノンビリ夫婦だ。請求書が来ていないのに気が付かないなんて。
(家内はチョットおかしいと思っていたらしいが・・・・)

「怠け者よ、蟻のところへ行き、そのすることを見て、
 知恵を得よ。」箴言6:6

Tuesday, June 26, 2007

拍子抜け

とうとう家内に痺れを切らされた。
2ヶ月前に買ってきたワォッシュレット、いまだに放ったらかし状態。
「とにかく誰かに頼んで付けて貰って!!」
仕方ないから買った所に行き、ハンディマンの電話番号を貰い電話をすると、
1時間で行くと言う。家内はもうすっかり有頂天、天に目が剥き出している。
さすが手馴れたもので、15分で終了。
な~んだ、と拍子抜けの感じ。
(内心、ボクでも出来たのに、と言う声がかすかに)

一度やる気をなくすと、金輪際もう腰が上がらない。
なんでもない簡単なことなのに、やる気がしないと、何だかとてつもなく
難しい事に挑戦しているように感じてくる。
不思議なものだ。多分に思い込みのようなものが入っているのだろう。
年を取ってくると、融通も利かなくなってきて、変コツになる。

あ~あ、もっと柔軟にならなきゃ、若いモンとは付き合えないということだ。

Monday, June 25, 2007

スイカのこと

メロンやスイカの季節になってきた。
小さな子供から大人まで大勢来るので、一口サイズに切って出す。
切り役はいつもボクだが、家内にいつも「もったいない切り方」と少々非難
めいた眼差しで言われる。まだ実が残っているのに容赦なく捨てる。
捨てる前に家内が上手に残った部分を食べる。
うちにいるタカちゃんなどは芸術的に、全く実がなくなるように食べてしま
う。残ったのをみると、真っ白な部分しかない。

一口サイズに切る時、少しでも表皮に近い白い部分が入ると、折角の美味さ
が半減されるのだ。本当に美味しく食べようと思ったら、少々もったいない
と思っても、白い部分は入れない。それが美味しく食べるコツだと思ってい
る。
「もったいな~~い」とは思いつつ、「あ~、おいしかった!!」と思ってもら
いたい。いっそのこと皮付きで出した方が、良いのかもしれない。
でもそれだと小さな子は汁を一杯こぼす。服が汚れる。床が汚れる。
全てを満足させるのは、難しいことだ。
たったスイカのことなのに、色々考えさせられる。

Sunday, June 24, 2007

みんな良く考えているのだ

今日、ガソリンが少し安くなっていた。
丁度行き付けのガソリンスタンドの前に来たので、入ろうとすると一杯。
やはり安くなった影響かと向かいのスタンドを見ると、そこは全く一台も車
が止まっていない。エエッーーーー、これって逆だろう???
何故なら向かいの方のスタンドのほうが安いのだ。いつも安いので通ってい
るメジャーの安価ガソリンスタンドで、いつもならそちらの方が一杯なのに。

ボクは普段からそのメジャーの安い方のスタンドには行かない。
あまり遠距離を走らないし、そんなに近頃ガスも使わないし、それに何より
以前、人に言われたことが頭にずっと残っている性かもしれない。
「安いガソリンは車を早くだめにするから、使わないほうが良い。」とその人
は言った。
その事が頭にあるので、車のために安いガソリンは使わないようにしている。

もしかしたら、普段安いガソリンを使っている人達も、ボクと同じことを考
えているのかもも知れないが、背に腹は代えられないのに違いない。

毎日勤めに出ている人達はガソリンの値段のことも、車のことも良く考えて
いるのだ。
ご苦労様。
それにしてもガソリン、高すぎる。

Friday, June 22, 2007

百合の花と母の祈り

あまり注意を払わないでいたが、百合の花が満開になっている鉢がリビング
ルーム飾ってある。一鉢に9つの花が咲いている。
「これって何時のものなの」と家内に聞く。
「去年いただいた百合の花よ」。

去年の5月あたりからずっと鉢の中で死んだようになっていた球根が一年過
ぎたイースターに咲かないで、もっと後の父の日あたりから咲き始めた。
遅咲きでも何でも構わない、忍耐し続けた暁に立派な花を咲かせた。
苦節500日、よくぞ耐えた。途中でターマイト、引越しがあったにもかか
わらず。
それにしても、家内の努力と花を愛する気持ちに敬意を表する。
愛し続け、世話し続ければ、いつかは花が咲くというものだ。

世のお母さん!!  
あなたの子供はどうですか。今は道をそれているように思えるかもしれない
が、お母さんの祈りは必ず通じるものです。
祈り続けてください。愛し続けてください。信頼し続けてください。
子供は必ず、まともになってきます。

Monday, June 18, 2007

平和はどこからやってくる

昨日は父の日、子供たちがみんな集まってくれた。久しぶりに家族の全員が
揃う。子供たちが食事を作ってくれ、一緒に食べる、ただそれだけのこと。
それが何とも言えない、楽しい平和な、至福のとき。
こんな何でもないことが今の時代に欠けている。
夫婦離婚、親子断絶、学級崩壊、社会欠落、不安、不登校、引きこもり、
いじめ、恐怖感、自信喪失、出社拒否、殺人、放火、自殺・・・・・・・・。

何時になったら、平和な時が来るのだろう。
それを望むのは、無理な気がする、ボクらの心に平和を持たない限りは。

「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。
あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。
いつも感謝していなさい。」聖書

Wednesday, June 13, 2007

規則が平和を作り出す

何事にルールがある。
「ルールは破られるためにある」、なんて若い頃は無茶なことを言っていた、
しかしそんなことが通用する年ではない。

ここに移ってきてから2ヶ月を過ぎようとしている。
ここはゲートで仕切られているコミュニティーで、そこには町内会ごとき
世話人会があって、世話人が寄り集まって色々取り決めをしている。
一昨日突然4名の人達がゾロゾロとやってきた。なんだか緊張した面持ち。
丁度集会を始めたばかりで歌を歌っていた。
「うるさいので近所が迷惑している」といわれるのかと、チョット身構えた。

ところがその日に取り付けたばかりのアンテナを取り外せとのたもうたのだ。
どうも外観を損ねる行為に当たるらしい。
日本語放送専門(NHK)のテレビ番組を見るのに、特別の受信機とアンテナが
要るのだ。そのアンテナの位置がだめらしい。
外から見えてはならない、建物に傷をつけてはならない、との仰せ。
厄介なことだ。
しかし、家の価値と安全を保つためには厳しい規制が必要なのだ。

アメリカはコミュニティーを大切にしている社会だ。
例えば、中流家庭が(上流でもいいが、ボクにはピンと来ないので)立ち並
ぶ家々の地域の中で、一軒だけ前庭の手入れが全く行き届いてなく、草ぼう
ぼうだと、その地域全体に影響を及ぼし、家の価値が下がるので、皆さんは
非常に気を遣いながら、手入れしている。
夜遅くまで騒音を立てていると、すぐに警官が飛んでくる。下手に警官の言
うことを聞かなかったり、抗議しようものなら、すぐに手錠をはめられる社 会
がアメリカだ。

そんなことで、ここにそんなルールがあるとは露知らず、大い に困惑した。
しかしルールはルール、これは俺の家だ!! とは言えない。
協力しないとどんなことが起こるか分からない、日本と違って厳しい社会の
アメリカ、素直に言うことを聞くしかない。

今日早速新しいトライポッドのアンテナを取り付けた。
余分な費用が掛かったが、これが社会のルールなのだ。
これで平和が保てると言うもの。
自由と言うのは、ルールの中にあってこそ自由なのだと言うことを改めて学
ばされた。

Saturday, June 09, 2007

セラピー犬

犬のJJ(ジェイジェイ)が近頃良く遊びに来るようになった。
何のことは無い、犬を散歩させるのが目的の一つだが、敵さんはそうは言わ
ない。「ダディ、もっと歩かないといけないじゃないの。JJと一緒に歩いて
らっしゃい!!」
もう一つは、彼女自身、夜に友人と遊びに出かけたいからだ。
まだ結婚してなく、子供は勿論いないが、もし孫が出来たら、こんなことを
或いは毎日させられるのではないだろうか。

まだ見ぬ孫も可愛いだろうが、JJも凄く可愛い。
時々ギューッと抱きしめて、頬ずりをする。
今日も思わず抱き上げ、頬ずりをする。あまり心地良さそうではない。
抱いたまま2階から階段を下りようとしたとき、JJがゴクッと唾を飲み込
んだ。思わず笑ってしまったが、緊張のあまりのことだろうが、ゴクッと
やるなんざ、なんだかユーモアがあって可愛い。

嫌なことがあっても、癒される。
ボクのセラピーのためにもJJと一緒にいるのは良いことだ。

Monday, June 04, 2007

犬から学ぶこと

近頃良く娘が愛犬を預けに来る。
この家は犬を飼えない。庭が無いので犬がかわいそう。
長年一緒にいた犬なので、ボクの所作を飲み込んでいるようだ。
靴を履くと目を輝かせ、耳をピンと立てる。
何かを期待している。
靴を履いたまま家の中を歩き回ると早足で付いてくる。イヨイヨ期待度が
増してきたようだ。
リーシュに手に伸ばしかける、もう飛び上がる姿勢に入っている。
リーシュを取り上げると、ピョンピョン飛び跳ねる。

犬はなんて可愛いんだろう。その素朴さが何ともたまらない。
反応が敏感でやり甲斐がある。

人でも反応によって、こちらの気分がうんと違ってくる。
講壇で説教していると、会衆からの一寸した反応によって、話に調子がつい
たり、励まされたりするものだ。
人は相手の反応によって力以上のものを発揮する場合がある。
子供も旦那も褒めると幾らでもやる気を起こす。
相手にやる気を起こさせるためには、「そんなこと当たり前」といった顔は
絶対してはいけないのだろう。大袈裟とは言わないまでも、反応(reaction)
は、明るく、心の底からすることで相手が生かされるし、もっともっとやる
気が起こされる。
人間関係も生かされる。

犬からも学ぶことがある。

Saturday, June 02, 2007

続、卒業式

卒業式は何度見ても感動し、胸が熱くなるものだ。特に、エルガーの行進曲
で大勢の卒業生たちが入場する時、胸が高鳴る。
ガウンを着た晴れやかな入場者に、会衆席からは口笛、奇声、気炎の上が
る 声、声、声、で音楽が消えるほど。
教授や講師達が二列に並びその中を堂々の行進。
国歌の斉唱、国旗への誓い。日本では近頃あまり見かけられない光景だ。
メインスピーカーは俳優でコメディアン。多分この学校の卒業生だろう。
最初から最後まで笑わす。のりに乗ってずいぶんと時間をオーバーするほど
話す。商売といえば商売、さすが長く話しても人を飽きさせない話術。
プロに徹している。
驚いたことに彼は博士号を持った人だけがきるがウンを着ていた。
ところが話の途中で、実はこの卒業式のために借りたものだと白状。そんな
所がアメリカらしい。あまりこだわらないところが良い。
ジョークばかりの中にも「国を愛する」という言葉がふんだんに口を突いて
出てくる。
人を愛し、国を愛する、大切なことだ。
出来れば、他の国の人も、他国をも愛して行きたい。

Friday, June 01, 2007

感動の卒業式

昨日は大学の卒業式に参列させていただいた。
当教会の2人の姉妹が卒業された。おめでとう。二人ともとても優秀な成績
でした。一人はHonored Student になっていた。
二人ともアメリカに来て信仰告白、洗礼も受け、礼拝は勿論、週日の集会、
(月曜、金曜)に精勤賞を差し上げたいくらい励んで来られた。
中間テスト、期末テストの前の集会にも出席されていた。イエス様大好き
人間にまで成長して行かれた。彼らは何が人生で一番大切かをしっかりと
把握しておられた。若いのになかなかしっかりしている。
一番のものを一番にする時(これがなかなか難しい)結果はそれにキッチリ
付いてくる。それは聖書の約束。
聖書の言葉にしっかりと立って生活すると、聖書の言葉がそのまま実現する
事を実証してくれた。

ちなみにその聖書の言葉とは、
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、
それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:33
「・・・and He will give them to you if you give Him first place in your
 life and live as He wants you to.」

式のあいだ中、このことを思って、感動しきりであった。