Thursday, February 21, 2008

血液サーラサラ

「血液サラサラ」に血眼になっている。
ボクの体の事を心配する家内が、食べ物の中で何が血液をサラサラにするの
か、研究している。
料理もそれに叶ったものを考えてくれている。
点数で言えば、一日の目安を約1000点の血液をサラサラにする食物を摂取
するように心がけるらしい。
例えば、ごぼうやカボチャ、蓮根、アボカド、りんご、みかん等は10点。
一番多いのが鯖の1500点、続いてブリの1340点、本マグロやイワシの
1260点、秋刀魚が1120点となる。
青い魚がよいといわれている。

サッパリと肉類を食べなくなった。夢にまで見るステーキ大好き人間に
とって、とても辛いところだが、恐ろしきは人間の慣れのようだ。
習慣が嗜好を変えてしまう。
良きに付け悪しきにつけ、人間は習慣によって変わるものだ。
参考にもなるし、気をつけなければならないことでもある。

Tuesday, February 19, 2008

頼みごと

あっという間に娘は帰ってしまった。
たったの3泊4日。
そんな中でも母親はなかなかしっかりしたもので、色々とボクが不精して
やらない事を娘に頼んでいるしたたかさが女性にはあるものだと、ホトホト
感心しきり。
娘もそこは心得たもので、しっかりとやってくれた。

頼みごとをする母親も嬉しげに頼み、頼まれた娘も嬉しげにやってくれる。
頼りにする、頼りにされると言うのは、何者にも代えがたい信頼関係なのだ
と教えられた。

Friday, February 15, 2008

怒りの奇声

バレンタイン・デーの朝、「なんでカリフォルニアで雨が降るんだぁ~!!」
と怒りの奇声を発していた娘。
オレゴン州のユージンでは一日中どんよりとした空模様が延々と続く。
それに雪だ。一日くらいなら珍しくてよいが、ずっとじゃ気も滅入る。
久しぶりに帰ってきたロサンゼルスが雨じゃ、奇声も発したくなる。

その成果があってか、昼からはすっかりと晴れ渡った。
翌日の今日も朝から、天気がいい。
娘もハッピーだろう。
ハッピーな娘を見るぼく達も、勿論ハッピーだ。

せめて娘のいる間は良い天気であってくれ。

Wednesday, February 13, 2008

父の心境

「友あり遠方より来る。亦たのしからずや。」と言う漢詩があるが、友なら
ぬ娘が突然帰ってきた。
家内から聞くところによると、友人が近頃失恋して、落ち込んでいるので、
慰めに帰ってきたのだそうな。

娘の仲の良い友達が5人いる。去年の結婚式のときに、全員がブライド・
メイドとメイド・オブ・オナーになった友ばかり。
一人は小学生時代からの友達、二人は中学時代から、二人は大学の時から。
その友が悲しんでいると言うので、急遽、新婚にも拘らず帰ってきた。

どうです、この娘、わが娘ながら、立派だね。
自分の娘ながら、誇りに思うね。
良い娘だろう。

我が家も急に賑やかになって、楽しい。

もう、向こうに帰るな!! と言うのが実は父親の心境だ。

Tuesday, February 12, 2008

人が変わらなきゃ

今日のニュースで、中国の貧困山村の教師らが結託して、未成年者に売春
を強要した罪で、死刑の判決を受けたとあった。
同じ日に、日本の高校教諭が、教え子の高校生と関係を持ち、懲役3年6月
の実刑判決を受けた。
国が違うとはいえ、随分と刑の重さが違うものだ。

しかし、いくら刑を重くしても、このような行為はなくならないとしたら、
一体社会は何を基準としてゆけばよいのだろうか。

罪を重くしても、しつけを厳しくしても、人間の本質が変わらない限り、
このような事件は無くならないだろう。

一体人間は本質的に変われるものなのか。

不思議とこの世の中には、いま周りを見ても、過去の歴史を見ても、その
本質を変えられた人達が、数知れずいるのだ。
そう、ワンサといるのだ。
変えられない人の方がまだまだ多いようだが。
人が変わらない限り世の中は変わらないのだ。

Monday, February 11, 2008

不思議な変化

昨日ある集会に出席した。
そこでは普段お目にかかれない大勢の方と会う訳ですが、どう言う訳か皆さ
ん、「アラッ、お痩せになられましたわね。」「へぇ~、そうですかぁ」
すると又違う方が、
「アラッ、チョットお肥えになられたのでは。」とおっしゃる。
皆さんよく人の身体を品定めしておられると感心しているが、同じ時に人の
からだのことばかりが挨拶代わりにされると言うことは、何ちゅうことかと、
訝しく思う。もっと他に良い挨拶言葉がないのか、と思ったが、多分親しげ
な挨拶なのだと納得している。

しかしボクをフグのように言わないで欲しい。
ふくれ上がったり、細くなったりで本人がどちらなのか混乱する。
たぶん、以前お会いした時期が違うのだろう。
それにしても、そんなに変わるかなぁ? と本人が一番不思議な気がする。

Sunday, February 10, 2008

「喫茶去」とはこれいかに

ちょうど一ヶ月間、ブログを書いていない。
続けると言うことのナント難しいことか。
チョット不精すると、すぐに1週間、1ヶ月が経ってしまう。
飽きっぽい性質のボクがよくもっている方だ。
それと言うのも、いつも読んでいるよ、とか、このごろ毎日ブログをあけて
いるけど、ちっとも書いてないね、等と言われるとプレッシャーを感じる。
人間ある程度のプレッシャーがないとどうもことが進まないように思える。
特にボクのような者には。

又書き始めよう。
期待されちゃ、辞めるわけにも行くまい。
と言うわけで又始めますのでよろしく。

ところでわが教会のウエブサイトに新しく、「喫茶去」(きっさこ)という
欄を設けました。是非御読みください。
唯一教養番組です。

『喫茶去』についての由来を先ず御読みください。
西部文浄著「禅と茶」昭和47年淡交社刊から引用。(P44-)
趙州従しん禅師(778-897)は山東州曾州府の人。中略
 
あるとき禅師のところに、一人の僧がたずねてきた。
趙州「かつて此間に到るや」(お前さんは、ここへ来たことがあるかい)
僧 「かつて到る」(あります)
趙州「喫茶去」(そうか、まあ一服おあがり)
あるときまた別の僧がやってきた。
趙州「かつて到るや」
僧 「かつて到らず」
趙州「喫茶去」
このように趙州禅師は、「かつて到る」と言っても「かつて到らず」と
言っても一様に「喫茶去」とあいさつしたのである。
ということは、悟った人でも、迷っている人でも、金持ちでも、貧乏人でも、
主人でも下男下女でも、だれでもかれでも同じように「喫茶去」ということ
である。
この様子をみていた院主さんが、変に思った。
これじゃ、どこにけじめがあるんだろうか。なにか区別がないんなら無理
してえらい人になることもない。中略
院主さんは尋ねた。
「ここへ来たと言っても来ないと言っても一様にまあ一服おあがりと言わ
れるわけをお聞かせください」
すると趙州は、「おい、院主さん」と呼びかけた。院主さん思わず
「はい」
とこたえると、趙州はすかさず言った。
「喫茶去」