Tuesday, January 06, 2009

お茶様の心

日本茶好きのボクにはどうもまだ紅茶の味が分からない。
色々と何々の紅茶というのを試してみたが、「うまい!」と驚嘆したのは
一度もない。
それに比べて、日本茶は実にうまい。ボクは特に煎茶が好きだ。
微妙な湯の温度差によってお茶の醸し方が違ってくるというのだから、一種
の芸術品だ。それも一級の芸術品で、入れる人の心の機微のようなものが
お茶の味として伝わってくるからたまらない。

先日、日本からこられた高名な牧師先生が持ってきてくださったお茶は実に
うまい。なぜ旨いか。彼はあちらこちら苦労して煎茶を買いに奔走してくだ
さった。どこのが良いのか、あちらの店、こちらの店と回って下さったに違
いない。飲む前からもうすでに心がこもっているからそれがお茶の味として
表れてくるのだ。
朝の起き立てに2杯、夕食後の勉強時間に2杯。温度に気をつけながら茶を
入れる時からもう、舌はお茶の香りで充満している。
早く一杯目が飲みたいという衝動をぐっとこらえて、じっと待つこと1分。
この1分の長いこと。でも楽しみの1分。
湯気が立っているのかどうかも分からないほどの熱さのお茶がドクドクドク
湯飲みに注がれる。やおら湯飲みを持ち上げる。それも何かしら恭しく。
コークやセブンアップを飲むとでは、その品性において大いに違う。
あの円やかさ、ちょっと渋みの中にある甘さ、ビロードが喉を通って行く
ような滑らかさ。あ~、たまらないのどこし。
ついうっとりとしてしまう。

紅茶にはこのうっとりさがない。
ビスケットとか、ケーキとかを食べるのに喉の通りをスムースにするために、
或いは甘さを中和させるために、紅茶にはプラス・アルファが必要なのだ。
しかし日本茶は茶ひとつで勝負している。ここが日本茶の偉さである。
日本茶を飲むときには何も要らない。
ただ、茶だけあればいい。
こんなすばらしい飲み物って、世界に類を見ない。

どなたかが尋ねて来て下さる時、必ず「何かお飲み物いかがですか?」と
たずねる。一瞬この家では何を出してくれるのだろうという顔をされる。
すかさず「コーヒーがよろしいか、日本茶にしましょうか、それとも紅茶
にしましょうか」とたずねる。うちにはソフトドリンクは置いてない。
「お茶で結構です」と言われると、「分かりました」と言う言葉が出てこない。
ちょっとムカッとして、パック入りの番茶を出そうかと思う。
心を込めて入れるお茶は、おいしく飲まれることを期待しているのだ。
それに向かって「お茶で」はないだろう。お茶を濁して出したい気持ち、
お分かりいただけるかな。
「お茶をいただけますか」とか「お茶がいいですね」とか、言えませんかと
お尋ねしたいのだ。「で」はお茶様に向かって失礼だろう。デリカシーを
尊重されるお茶様は気分を害して味だって、いい味を出してくれないと思う
よ。「が」とか「を」とか言われると、気持ちよく飲んでいただこうと、
お茶様も満足されると思うが、どうだろう。
お茶は入れる側も、飲む側も、お茶様の心を心としていただければ最高の
お茶が味わえると言うものだ。

「お茶を一杯いかが?」

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