反応力と祈り
早朝の電話には昔から異常に反応する。
スワッ、何事!!
大体、リリリーンと一回鳴ると受話器を取る。
仕事をしていた時には必ずと言って良いほど、緊急事態発生で悪い報せ。
牧師になってからもそれは変わらない。悪い報せというのは、さほど
ないが、緊急が多い。
或いは緊急でなくても、どうしても「今」と思われる方からの電話だ。
家内が心配する。
電話の内容ではない、ボクの反応にである。
あまりにも急にガバット起き上るので、脳溢血か心臓麻痺にならないかと
思うらしい。
これも習性だから、仕方ないし、一呼吸置いてやればよいのだろうが、
どうもそんなこと考えておれない。何しろ早朝なので頭がボーっとしていて
思考能力が極力低下している。
それでもすぐに電話で応対し、時にはすぐに決断もせねばならない。
特にお祈りをその場でする場合、相手の方にご迷惑ではないかと思う。
向こうは真剣に切羽詰っている事態なのに、こちらの頭がボーっとしていて
お祈りがうまく出来ない。言葉が出てこない。それでも必死になってする。
でも、嬉しいことだ。私が何も出来ないことは向こうも充分承知の上なのに
全能の方に取り成しの祈りをさせていただけるのだから。
牧師冥利に尽きる。
「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでに
かなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」
聖書(マルコ11:24)
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