Sunday, February 10, 2008

「喫茶去」とはこれいかに

ちょうど一ヶ月間、ブログを書いていない。
続けると言うことのナント難しいことか。
チョット不精すると、すぐに1週間、1ヶ月が経ってしまう。
飽きっぽい性質のボクがよくもっている方だ。
それと言うのも、いつも読んでいるよ、とか、このごろ毎日ブログをあけて
いるけど、ちっとも書いてないね、等と言われるとプレッシャーを感じる。
人間ある程度のプレッシャーがないとどうもことが進まないように思える。
特にボクのような者には。

又書き始めよう。
期待されちゃ、辞めるわけにも行くまい。
と言うわけで又始めますのでよろしく。

ところでわが教会のウエブサイトに新しく、「喫茶去」(きっさこ)という
欄を設けました。是非御読みください。
唯一教養番組です。

『喫茶去』についての由来を先ず御読みください。
西部文浄著「禅と茶」昭和47年淡交社刊から引用。(P44-)
趙州従しん禅師(778-897)は山東州曾州府の人。中略
 
あるとき禅師のところに、一人の僧がたずねてきた。
趙州「かつて此間に到るや」(お前さんは、ここへ来たことがあるかい)
僧 「かつて到る」(あります)
趙州「喫茶去」(そうか、まあ一服おあがり)
あるときまた別の僧がやってきた。
趙州「かつて到るや」
僧 「かつて到らず」
趙州「喫茶去」
このように趙州禅師は、「かつて到る」と言っても「かつて到らず」と
言っても一様に「喫茶去」とあいさつしたのである。
ということは、悟った人でも、迷っている人でも、金持ちでも、貧乏人でも、
主人でも下男下女でも、だれでもかれでも同じように「喫茶去」ということ
である。
この様子をみていた院主さんが、変に思った。
これじゃ、どこにけじめがあるんだろうか。なにか区別がないんなら無理
してえらい人になることもない。中略
院主さんは尋ねた。
「ここへ来たと言っても来ないと言っても一様にまあ一服おあがりと言わ
れるわけをお聞かせください」
すると趙州は、「おい、院主さん」と呼びかけた。院主さん思わず
「はい」
とこたえると、趙州はすかさず言った。
「喫茶去」

2 Comments:

At 4:54 PM, Blogger バレエママ said...

喫茶去

 
At 1:02 PM, Blogger Masaki said...

喫茶店?

 

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