何をするにも
年に2度、日本に伝道旅行に行く。日本全国どこにでも行く。スケジュールは家にも教会にも残して行く。私が何処にいるのか直ぐに分かるようになっているが、何をしているのかは細かい所まで知らないはずだ。
果たして私の行動は透明だろうか。もしかしたら温泉にでも行っているのではないか、どこかで美味しいものでも食べているのではないか、と勘ぐれば勘ぐる事が出来る。
招待されてご馳走になる事があるが、そうそうあるものではない。大体はスケジュールに追われ、次から次へと場所を変わって行かねばならない。時には駅で立ち食いそばをかきこみ、駅弁を汽車の中で食べると言うのはザラだ。
寝る場所は毎日変わる事さえある。日替わり弁当ならぬ、日替わりベッドだ。
何をしてもこれは神様から私に与えられたミッションだと喜んで受け止めている。
でも、いつも旅での行状は誰に見られても良いようにガラス張りの透明でなければならないと思っている。旅をしていると寂しくなる時があるの、これが怖いのだ。
「食べるにも飲むにも」、何をするにも神の栄光を現すものでなければならないと、肝に銘じている。
安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)
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