Thursday, April 07, 2005

良心

人間には必ず誰しも“良心”が与えられている。時には“正しい良心”“正しくない良心”として。

アメリカ・インディアンの言い伝えに、「良心と言うのは心の中にある先の尖った三角定規のようなものだ。何かの拍子でそれが廻ると、チクチクと痛み出す。ところが何度も廻っている間に先が丸くなって痛みを感じなくなる」まことに的確な表現だ。大いに身に覚えがある。

“正しい良心”の基準は何処にあるのかというと、それは聖書だ。

人間の作ったものなど当てにならない。なぜなら人間の都合の良いように、良心の基準を上げ下げする事が出来るからだ。

人間は自己義認(自分を正当化する)するために、良心の基準をいとも簡単に下げる事をやってのける。こんなもの良心と言えるか!!


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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