Monday, November 27, 2006

ふるさと

最近、お世話になった人達が亡くなられるケースが多い。
10月、日本に行っている間にとても親身にしてくださっていた方が亡くなり
お葬式に参列できなかった。
最後のお別れだったのに、とても残念だった。

今日のお葬式は、沖縄出身の方だった。
ボクが日本に行く前、会って行こうかなと思ったが、お体の御加減が悪かっ
たので会わずに行き、帰ってからも会わずにいたら、亡くなられた。
御体のお悪い方がいたら、すぐに会いに行かなければならないと思った。
人の命は判らない。昨日まで元気な方も、今日明日の命は誰が保障できよう。

告別式は悲しいが、彼女にとっては凱旋のセレブレーションだった。
人生に勝利して天にお帰りになった。
ファイナルトリビュートの時には、夫々が夫々のお別れの仕方が印象的だっ
た。
小さく手を振る人、棺に手を置いて優しく微笑みを投げかける人、なにやら
小声でお別れの言葉を言う人、泣き崩れる人、手を合わせる人、呆然と立ち
尽くす人、それぞれのお別れの仕方だが、「また会えるね」と確信しておら
るかたが大勢おられたようだ。

     「私たちのふるさとは天にあります。
       そこには救い主であるイエス・キリストがおられます。」
                                 ピリピ3章20節

天の国籍とも訳される最終的な“ふるさと”がボクたちを待っている。
どこに行くか判らないなどと言うのではない。ハッキリとどこに行くのか
判っていると言うのは、何と言う安心感だろうか。
神様が用意してくださっている天の御国に行ける保障をいただいている者の
幸いである。

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