Wednesday, May 18, 2005

鮮やかなたとえ

友人から廻ってきた鮮やかなたとえを一つ紹介しよう

ある男が髪を切り、髭を揃えてもらおうと散髪屋に行ったんだ。
仕事に取り掛かった散髪屋はおしゃべりを始めた。
そこで色んな話をした。
そのうち神様の話になって、散髪屋が言うには「俺は神様が居るなんて信じないね」、
客は「何でそんなことを言うんだい?」

「外に出て見りゃ神様が居ないなんてことはすぐに分るさ。
言って見りゃ、神様が居るんなら、こんなにたくさん病人が居るわけはないだろう?
捨て子だって居るわけないし。
神様が居たんなら、苦しみだって痛みだってなかった筈だろう。
愛に満ちた神様がこんなことを放っておくなんて想像もできないね。」

客は言い返そうと思ったけれど、口げんかになりそうなので放っておいた。
散髪が終わって客は店を出た。すぐの通りに、ボサボサの長く汚い髪と
髭を伸ばし放題にした男がいた。
その男は汚れて髪の手入れが必要に見えた。
客は引き返して店に戻り、散髪屋にこう言ったんだ。
「分るかい? 散髪屋なんて居ないんだ。」
驚いた散髪屋は「何でそんなことが言えるんだい?」と聞いた。
「俺はここに居るし、俺は散髪屋だ。現にあんたの散髪をしたじゃないか」。
「違う!」と客は叫んだ。
「散髪屋は居ないさ。散髪屋が居りゃ、あの通りの男のように汚い長い髪や
髭を伸ばし放題にした人たちが居るわけはない。」
散髪屋は「あいよ。でも散髪屋は居るんだ!」と言い返した。「つまり、奴らは俺の
所には来なかったというだけさ。」
客は「その通り!」ときっぱり言った。「つまりはそういうことさ。神様も居るって
わけだ。神様のところに行かない、神様を探さない。だから、
この世にはこんなにたくさんの痛みや苦しみがあるってわけさ。」


安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)

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