Monday, April 10, 2006

家内とのデートで

少し時間の余裕が出来たので、月に1,2度家内と二人で外食する。
家内をキッチンから解放する意味もある。
普段はレストラン・コートのようなところに行ってワイワイガヤガヤと言った
雰囲気の中で食べる。ずらりと並んだ食べ物屋から、自分のオーダーした
食べ物を、テーブルが一杯並んでいる大きな中央の広場に自分で持ってきて
食べるといったごくごく庶民的なところである。
中華、うどん、そば、ラーメン、丼物、トンカツ、カレー、といった比較的
日本食の多いコートである。

ところが昨夜は趣向を少し変えて、日本的イタリヤ・レストランに行った。
ムード音楽とローソク、薄暗い部屋にウェイター、ウェイトレスがサーブし
てくれる本格的なレストラン。それなりの雰囲気の中で家内とデート気分。

ただ、ボクにはどうしても解せないことがある。
あれだけ雰囲気を出している店にもかかわらず、騒々しいのだ。
まるで野球の練習をしているグラウンドか、何処かの中央市場にいるよう
なのだ。

客はぼそぼそと静かな声で話していて静かなのに、店に働いている、特に
男性の声が店の中にがんがんと響く。
「いらっしゃーい!!」と客が入ってくるたびに、お寿司屋さんに入ったあの掛
け声。「ありやとござやしたー」と最後の調子が上がる声。
「ニョッキー、いっちょ~~ぅ」とオーダーを入れる声と「あいよ~」とか
「いょ~う!!」と大声でオーダーを受ける声。
そして時々、何に対してかわからないが、「いやぉぅ~~!!」といった奇声が
店内を行きめぐる。
ありゃ、一体何なんだろう。

しばらく家内との会話をやめて、どんな奇声が飛び交うのか、聞き耳を立て
ていた。
なぜあんなに「威勢」を付けなければならないのだろうか。

そんなことで、オーダーしたライスが最後まで来なかったのにも気がつかな
かった。文句も言わずに早々と引き上げてきた。

家内はスパゲッティーがとても美味しかったと満足してくれた。
そう、味は決して悪くない店なのに。

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、
やかましいドラや、うるさいシンバルと同じです。
また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義と
あらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持って
いても、愛がないなら、何の値うちもありません。」
聖書(1コリント12:1)

本質(例えば店の特長―味とムード)をしっかり究めないと全体のバランスが
壊され折角の良さも台無しになりかねない。
私の信仰生活も教会のプログラムも、あれもこれもじゃ焦点がぼやける。
気をつけなければいけないと自らを戒めた。

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