Thursday, April 06, 2006

口から出まかせ

歌っている最中、歌詞を間違えるとどうするか。
とにかく空白はいけないので、なんでも即興に歌詞を作って歌い続ける。
日本語だと何とかなるが、英語だとどうにもならないのが癪だ。

先生を目の前に、一対一で説教の実習をする。これはきつい。
普通、神学校の授業だと、説教を何日かかけて作成し、教室で発表する。
ボクの場合、即興(即席)を要求されるのだ。

「では創世記の12章1節を開きなさい。そこを読みなさい。では始めな
さい。」
これで3分間の説教をすぐに始めなければならない。用意する時間なんて
全くなく、「アァー、エェー、アァー」でハイ3分。終わり。
しかも要求される事は、その話に「起」「承」「転」「結」を入れる。
これはもう神業である。でもその先生はそれを要求するのである。

とにかく沈黙していてはこの場合、「金」ではないので、何でも良いから
喋りだす。
そしてとにかく最後まで喋らす。
話し終わって評価がくだされる。首を洗って待つ時間である。

「まず時間だが、君の場合○分○秒である。時間は守るように。」
3分に満たなかったり、長すぎたりは絶対にだめ。
とにかく時間を過ぎるのは、短いのより厳しく叱られる。あまり短いのも
だめ。2分45秒から3分の間ならOK。

「起承転結がはっきりしていない。」ならまだ良い方。
「君は何を言いたいのかね。さっぱり判らん。」
そりゃそうでしょう、頭の中が真っ白で、提示された聖書の言葉とは全く
関係ない事をベラベラと喋る、何を言わんとするかなんて考えてもいない。
口からでまかせを言っているのだから、喋っているこちらも相当に辛い。

しかし、出まかせを言っているのが、だんだんと意味を成すようになって
くるから不思議だ。練習は何度も何度もするもんだとつくづく思う。

忍耐し、訓練し続ければ何とかなるんだと言う事を経験する。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと
思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは
知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けた
ところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」聖書(ヤコブ1:2)

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