Wednesday, March 28, 2007

そんな伝道者は払い下げだ

今日あるクリスチャン雑誌の記事を読んでいて、どうにも合点の行かない
記事があったので、皆様のご非難を覚悟で書く。

曰く、「先日四国に行った時、空港に迎えに来てくれた友人が私にこんなこ
とを言った。『先日、A先生が近くの教会にお話に来られたのですが、後で
もうあの教会には絶対行かないと言っておられたと聞きましたよ。』『ああ、
やっぱり』、内心そう頷かせる物が私の中にあった。A先生という方は、
よく知られた伝道者であるが、A先生に限らず講演者は、同じような経験を
しているに違いない。つまり、この場合キリストの教会と標榜するものの、
そのやり方が極めて自己中心的なのである。・・・・教会に着いてまず、
個人的相談、夕方の伝道会、日曜日の礼拝、午後の講演会・・・つまり迎える
側は『この機会に』とばかり張り切るのだが、スピーカーの立場など全く考
えていないのである。それにA先生は多少ともお体にご不自由を持ったおら
れる方であった。」

少し引用が長くなりましたが、誤解を招かないようにとの思いです。
本当にこのA先生はよく知られた伝道者なのだろうか。
私が知っている「よく知られている伝道者」からはまるで想像もつかない、
正反対のコメントのようです。
「こんなに使って下さって感謝です。」
「講壇上で倒れたら本望です。」
と言うのがよく聞かれるコメントです。それともこれらは建前なのか。

家内の日本での牧師は癌だとわかっても、海外に出られ、教会では椅子に
座って最後まで説教された。個人的によく知っているチイロバ牧師の榎本
先生はロサンゼルス伝道途中で亡くなられた。
皆さん命をかけて伝道されていた聖徒たちでした。
ほかにも数えたらきりがないほど沢山の伝道者を知っているが、皆さんご
自分の体を大切に大切にいとおしんで、集会の多さに対して文句を言われた
のを聞いたことがない。それが本来の伝道者の姿ではなかろうか。

この記事の中の伝道者はよほど「よく知られた伝道者」、超有名な方なのだ
ろう。御容態を心配しながら、細心の注意を払いながら、お殿様をお迎え
するように、気を遣い気を遣ってお迎えしなければならなかったのだろうか。
そんな伝道者など迎える必要などないのにと思う。他に幾らでも命懸けで伝
道しておられる方たちがいるのに。

もっともこの記事を書いておられる先生も、いまは大学で教えておられる
先生だから、そんな高い立場からものを見るようになったのかも知れない。
伝道者が招かれなくなったらお終いだ、とは私が尊敬する巡回伝道の先生
が口癖のように言っておられる。
お体にご不自由を持っておられるそのお方には、家で暖かい羽根布団にで
もくるまって、じっとしていただいた方が、よほど皆さんが気を遣って下さ
るに違いない。「どうかお体をお大切に!」

教会だって必死なのだ。何年伝道しても教勢は上がらない、財政的にも恵ま
れない教会だっていくつもある。伝道者はそんな教会を優先して、助けるく
らいの気概はないのか。

まあ、その実、私は日本から来られた先生方を「この時とばかり」無茶苦茶
こき使ってはいる。考え直さなければならないのだろうか。

そんな柔な伝道者はこちらから払い下げにしたい。

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