神の宮
あまり神経質になるのも問題だが、全く構わないのはもっと問題なのがこの身体、健康問題だ。無知をさらけ出して恥ずかしい話だが、以前私は車と言うのはガソリンを入れるだけで走るものだと思っていた頃があって、エンジンを駄目にしてしまった経験がある。
人間の体も手入れをしないと、やがて走れなくなる時が来る。
神を知るようになって判った事は、この体は自分の物であって、自分の物ではない事。「神の宮」と言って下さるほど大切な体なのだ。だのに大分健康に問題が出始めてきて慌てている。
神が喜んで認めて下さる働きをしたいと願いつつも、頭の教養(知識)に偏り、心の教養を怠っている。聖さに不足している事をつくづくと思い知らされている。悲しむべき重大な欠点だ。
何よりも祈りの不足が一番の問題と痛感させられている。
「心よりも頭の方を多く用いた説教は、充分に聴く人の胸にこたえない」リチャード・シーシル 説教の準備の大切さに没頭する余り、準備されなければならない「心」を無視している。
「良く祈った人は良く学んだ人である」マルチン・ルター
安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)
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