Wednesday, October 12, 2005

敬老ホーム慰問

今日、朝早くから敬老ホームに行ってきた。

ここは中間看護ホームと言って、車椅子を使わず、ご自分である程度自由に歩ける人、歩くのに全く問題のない人、杖を突いて歩く人、しかも頭脳的にはしっかりした人たちがおられる。

賛美歌を5曲ほど一緒に歌ったが、ピアノを弾いてくださったご夫人はしっかりした音とリズムで弾いてくださりおどろいた。

反応も良く、皆さん声を出して歌ってくださる。

この程度の人達なら、ご家族と一緒に住んでも問題はないと思うのだがと一寸複雑な気持になった。

そのあとで、もう一軒の引退者ホームに知人を訪ねた。

ここは重度の人たちが殆どで、人の世話にならないと何も出来ない人たちばかりだった。

殆どが車椅子の厄介にならないと歩けない。

私達の知人はリューマチがひどく、去年ずっと奥様の世話をしてこられたご主人が亡くなられここに入られた。 薬の副作用で目が見えなくなり、手足の指も随分ひどく変形しておられる。 しかし何時お会いしてもしっかりとしておられ、はっきりと喋る事も出来、お見舞いに行った私たちが返って慰められ、信仰を強められて帰って来る。

例え目が見えなくても、ご自分で何も出来なくても、なお、見えないものに希望をおき、強く生きておられるお姿をみると、信仰の素晴らしさを改めて思わせられる。

今75才だが、60才から点字を学習され、毎日点字で聖書を読み、知っている人たちのために祈りを捧げておられる。
 
家内もリューマチだからお互い格別に親身さがあり、年は離れていても痛みを分ち合う事が出来る。 

毎日家内と私のために祈ってくださっているとか。

涙が出るほど嬉しい。

はた目には家族もいない所にいてお淋しいに違いないと思うのだが、どんな状況にあっても、嘆くことなく、悲嘆に暮れて涙することなく、なお希望をもって生きておられる姿は輝いて見える。

ぼくもこんな生き方をしたいと切実に思った。

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