上手に「ノー」
昨夜、いや、厳密には今朝の明け方、こわ〜い夢を見た。
あるビルディングの駐車場で一生懸命自分の車を探していた。 なかなか見つからず、やっと見つけたら、仲間が15,6人ほど待っていた。
ボクの相棒は用事があるからと言ってさっさと自分だけ大きな車に乗って行ってしまった(なぜか消防車を改造した銀色の車だった)。 後に残った者をギュウギュウ詰めにして、とにかく10人くらい乗せて山道を下っていった。 なぜか舞台は急に山間の湖畔の下り坂になっている。
余りにも重すぎてハンドルが効かず、湖の中に転落してしまう。
それでもずぶ濡れになりながらも、又引き返して残りの4,5名を車に乗せて帰る。
ここまでが夢。
問題はこうまでしてなぜ人の世話を焼いたのか。
前日、バウンダリーズ(境界線)と言う本を読んだ。
この性だ。
人には身体的境界線、精神的境界線、感情的境界線、霊的境界線があるそうだ。
いわばお隣りさんとうちとの垣根のようなもの。
お互い越えてはならないものがあるにもかかわらず、知らず知らずのうちに越えてしまう。
夢ではないが、私は安全上これ以上人は乗せられませんのでと、お断わりすればよいのに、良いですよ、私がやりましょう、と言うところに問題が生じるのだそうだ。
これがストレスとなってイライラの原因になり、それが昂じて不安になる。
不安が昂じて恐怖になると言う具合。
そう言えば断われずに全部背負い込んでしまう例って沢山あるよね。
上手に「ノー」といえる訓練も必要なのだそうだ。
安藤秀世(サウスベイジャパニーズクリスチャンフェローシップ教会牧師)
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